木瓜影院

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特集2009年9月15日

福住一徳 世界銀行 譲許性資金?グローバルパートナーシップ総局 IDA資金動員局 オペレーションズ?オフィサー~第5回 世银スタッフの横颜インタビュー

いつも楽しくサービス精神旺盛な関西人。よくアニメのキャラクターが「わはははは」と笑うシーンがあるが、福住さんは実际にそう笑う人。そのあっけらかんとした雰囲気からは、嫌味のない自信と谦虚な姿势がうかがえる。人への気配りは决して忘れない。いかに他人が楽できるか、楽しんでもらえるか。そんな想いで毎日过ごしているのではないか。文武両道、非常にバランスが取れている。そして笑いながらもキリリとした目は人を见抜く力がある。洞察力が凄い。温厚で人想いの性分の里には鋭い情热的な信念があり、インタビューの最后にはロックンロールなメッセージを若者たちへ発信してくださいました!

Kazunori Fukusumi

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兵库県神戸市出身。京都大学法学部卒。97年、旧?日本输出入银行(现?国际协力银行(闯叠滨颁))入行。2001年よりコロンビア大学国际公共政策大学院に留学、国际関係论修士号取得。2006年12月より世界银行に出向し、现在に至る。ワシントン顿颁では同じく関西出身の若手と、関西の国际化と阪神タイガースの未来について语る世银関西人会を设立、また国际机関で働く日本人によるソフトボールチーム「レッドライナーズ」を结成するなど、ネットワーキング活动にも力を入れる。

10代の顷に芽生えた问题意识が原点に

国际的なものへの関心のルーツを考えた时、自分の场合は中学?高校时代に遡ります。私は神戸市出身なんですが、神戸と言っても、六甲山の里侧の緑豊かなベッドタウンで生まれました。自分は帰国子女でもないし、英语をしゃべれる人や国际的な仕事をやっている人が身近にいた、というわけでもない。逆にそういった环境で育ったからこそ、外の世界に対する関心が生まれたのかも知れませんね。中学?高校时代はというと、男子校で闷々とした青春时代を过ごしましたよ(笑)。その慰みとして当时ハマったのが音楽でした。当时はバンドブームで、自分の场合は社会的なメッセージ性のあるロックが好きでしたね。チェルノブイリの原発事故を题材にした歌や核の问题を扱っているという理由で発売禁止になったアルバムを、亲の目???いや、耳を盗んでこっそり聴いてた(笑)。「こんなちっぽけな惑星の上で、人间同士が争いあってどうすんだ、もっと自分の身近に大切にするものがあるだろ」、みたいなストレートなメッセージに共感するピュアな少年だったんです(笑)。それから、学校の先生たちから受けた影响というのもあったでしょうね。歴史の先生は「人间のあゆみ」というサルがどのように进化して人间になったかという本を読ませたり、地理の先生は狈贬碍スペシャルの「地球大纪行」のビデオを使って地球诞生の歴史を教える、という枠に囚われないユニークな先生たちでした(笑)。多感な时期にそういったものに触れたことによって、大げさかもしれないけれど、世界が抱える何かもっと大きなものに対する関心や漠然とした问题意识が芽生えた気がするんです。地球という惑星で、人间という生物がどうやって今の文明を筑いてきたか、でも何故人间同士は争うのか、地球上の限られた资源を喰い尽くしながらみたいな???。ロック少年が地球を救うために立ち上がる、まるで漫画の「20世纪少年」やね(笑)。

途上国というものと初めて出会った大学时代

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大学入試の時、将来の明確な目標があったわけではなかったんです。ただ、自分は文系志望だったし、文章を書くのが好きだったからなんとなく将来は物を書いたり、番組を作ったりして、「世の中ではこんなことが起きてるぞ」って社会に対して発信するメディア的な仕事に漠然とした興味を持っていました。その頃は国際機関などというものは、社会の教科書のブレトンウッズ体制のくだりに登場する別世界の存在のように思っていましたね(笑)。大学時代は、良い意味で「モラトリアム」を満喫した充電期間だったと思います。大学にはあまり顔を出す方ではなかったんですが(苦笑)、自分の興味あることには積極的に足を運び“行動”するようになったのはその頃です。2回生の時に大阪でAPEC (Asia-Pacific Economic Cooperation、アジア太平洋経済協力)があって、たまたま新聞で見つけた学生NGOが主催する会議に参加したんです。そこで人生で初めて外国人、アジアの途上国やメキシコからきた学生と触れ合いました。その翌年にこれもたまたま新聞で見つけた日韓国交正常化30周年の学生ミッションの一員としてソウルを訪れて、韓国人の学生と議論したり、北朝鮮との国境を訪れる機会がありました。軍事境界線に立った緊迫感は今でも忘れないし、またこれが国際社会の現実なんだと痛感しました。その後はいろいろ見てやろうと、今でいうバックパッカー風に、中国内陸部の雲南省まで列車で旅をして、国境地帯の少数民族を訪ねたり、大学最後の年はネパール国内を一ヶ月かけて放浪しました。途上国への旅を通じて、どこからこういった貧富の差が生まれるのかと素朴に思うとともに、その中で生きる人々の逞しさのようなものを感じたんですね。この辺りから、自分は途上国の人々の生活に関心があり、将来は何かそれに影響を与えられるような仕事をしたいと思い始めました。運良くクジ引きで入った国際政治学のゼミの思い出は(ユニークな先生で、「人生、半分は運で、半分は実力や」というポリシーの元、ゼミ生の半分はクジ引きで、半分は英語の試験で選んでいたんです!)、ゼミの後の飲み会の思い出しか残っていませんが(苦笑)、刺激を与えてくれるバラエティーに富んだ仲間たちと出会いました。「援助は日本の安全保障や」と酒の席で熱弁をふるった友人は、その後日本の援助機関に入りましたが、「日本企業の海外におけるビジネスこそが日本の安全保障を支えてるんちゃうか」と思った私は、彼とは違う道を歩むことにしました。

日本の会社は修行の场?そこで得たものとは

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大学卒業後、勤めたのは当時の日本輸出入銀行(輸銀)、現在の国際協力銀行(JBIC)。将来は海外で、中でも途上国のプロジェクトに携わりたいという思いがあって、「国際性」と「公共性」、この二つをキーワードに商社や銀行などを周っていました。当時は英語もろくにしゃべれなかったのに、「国際性」だなんて???いま思うと恥ずかしいですね(笑)。最終的に輸銀を選んだのは、政策金融機関としてより公共性の高い仕事が出来ると思ったことと、若手行員のトレーニングの一環として、海外大学院への留学や世銀などの国際機関への出向のチャンスもある、ということが大きな決め手でした。 輸銀?JBICでは10年近くもの間、開発途上国における日本企業のビジネスを金融面で支える仕事をしてきました。その経験を通じて言えるのは、日本の会社で働くこと、それは国際機関を目指す人たちにとっても大変良い鍛錬の場となるのではないかということです。瑣末なことですが、日本の会社は大部屋方式の良さがあって、仕事をしながらも周囲の動きや情報に絶えずアンテナを張って、次に上司からはこういった指示が来るな、じゃ自分は次はこの資料を作らなあかんから、部下にはこの情報収集を発注して、お客さんにはこの電話をせなあかんな、と常に次の一手を読む、そういう術が自然と身に付きます。情報感度が高いことは社会で仕事していく上で、重要なソフトスキルだと思うんです。仕事に対する拘りや、痒いところに手が届くような木目細かさなども、日本の会社でないとなかなか身に付かない姿勢ではないでしょうか。それから、会社のローテーションで与えられた仕事や経験を通じて、自分の未知の知識分野やハードスキルを開拓できる可能性があるというのも、日本の会社で働く利点の一つと思いますね。自分の場合、会計という分野は自分には無縁と思っていましたが、会社の財務部で決算を担当するようになって初めて、簿記や会計の世界を覗き、意外と面白くてハマってしまって???今や複式簿記は人類の偉大な発明の一つ!とまでに思えるようになりましたよ、ほんまに(笑)。一見自分の関心からはずれた仕事にも、必ず何か吸収出来ることがあると思います。

日本人として国际机関で生きること。

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2006年の冬から闯叠滨颁からの出向という形で世界银行に来て、现在に至ります。今の仕事は世银グループで最贫国向けの融资?赠与を担当する国际开発协会(滨顿础)の资金调达(増资)やオペレーションを行う地域総局への国别の予算配赋?モニタリングなどの仕事です。私の场合は政府関係机関からの出向ということで、世银での任务は3年间で、今年の冬には派遣元の闯叠滨颁に戻ることになっています。世银で働く日本人には、自分のように日本政府や政府関係机関などから派遣されている出向者を含めた正规スタッフ以外に、コンサルタントの方々もいる。つまり国际机関で働くと一口に言ってもいろいろなルートやバラエティーある、ということです。

日本と国际机関の仕事环境で大きく异なる点。それは日本が组织や部署で仕事するのに対し、世银は専ら个人の能力に基づいて仕事する、ということでしょうか。日本では组织や部署の帰属や贡献などに基づいて仕事が动く反面、世银などの国际机関では部局の名称などはあまり関係なくて、个人の能力、特に専门性に里打ちされた仕事での経験、结果?実绩、というものをベースに仕事が动いているように思えます。そういう意味で世银は完全に个人商店の集まり。逆に个人で内外にネットワークを筑いていかないと商売にならない。だからこそ、世银で働く日本人には、もっと日本人同士で横のネットワークを作って、仕事の実绩につながる情报交换などを行ってもらえたらいいな、と感じます。金を出す(出资する)ことが発言力に繋がる、という面は国际机関では勿论ありますが、たとえ小国であっても、筋の通った议论をして政策面でリードしていく国は一目おかれる、という面も大いにある。日本人がもっと横で连携して、良い意味で组织力を発挥し、世银の活动に対する积极的な贡献を地道に行っていく。それが日本に対する评価や存在感にも繋がっていくのではないかと期待しています。

また、「开発」と一口に言っても、その课题を达成する手段は多岐に亘ります。例えば、マラリア対策の蚊帐を开発し、その工场をアフリカに作って现地雇用にも大きく贡献している住友化学さんのような日本公司の优れた取り组みもあります。环境や食粮问题といったグローバルな课题の解决と公司のビジネス活动の促进という、双方の目的に繋がる奥颈苍-奥颈苍の事例を、世银などの国际机関とも连携しながら世界に広めていくことも、日本にとって大きな役割が期待されている分野ではないでしょうか。

国际机関を目指す若者に向けて

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国际机関で働くための道は一本道ではないし、また近道もない。ただ、「志」というものがぶれなければ、民间公司であっても、公的机関であっても、狈骋翱であっても、様々な场で积んできたいろいろな経験やスキルを活かせる场面が必ずあります。むしろ、外部で积んできた経験がプラスに评価されるのが国际机関の良いところだと思います。今の私を支える「志」は、はるか昔、10代の顷にロックを闻いて感じた纯粋な共感と、大学时代に途上国というものに初めて出会って感じた问题意识です。今もそれはブレていないし、自分の原动力であると言えますね。21世纪に生きる若者よ、窓を开けて今の世界に目を向けよう!君たちが生きるのは未来でもなく、过去でもない、今この瞬间であり、世界が君たちのフィールドなんです!

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