Chiharu Ima
神奈川県横浜市出身。中学、高校时代とアメリカのアラスカ州アンカレッジ市に滞在。上智大学外国语学部卒。1996年世界银行グループ入行、世界银行研究所に所属。2003年ジョンズホプキンズ大学で惭叠础取得。2008年より世银の南アジア地域総局资金管理ユニットに移动し、アフガニスタン及びブータン担当チームの资金管理?运営を担当し、现在に至る。趣味はスポーツと音楽。
神奈川県横浜市出身。中学、高校时代とアメリカのアラスカ州アンカレッジ市に滞在。上智大学外国语学部卒。1996年世界银行グループ入行、世界银行研究所に所属。2003年ジョンズホプキンズ大学で惭叠础取得。2008年より世银の南アジア地域総局资金管理ユニットに移动し、アフガニスタン及びブータン担当チームの资金管理?运営を担当し、现在に至る。趣味はスポーツと音楽。
いま私がこの仕事についているのは、多感な中学?高校时代をアラスカで过ごしたことが大きいかもしれません。家族の転勤で移り住んだアラスカ州アンカレッジ市は、とても自然が豊かなところ。「ひとり1日3匹まで」というように制限はあるんですが、自分たちで鮭を获ることができるんです。现地では鮭のステーキやイクラを日常的に食べていました。テニスのラケットの上で薄い膜をはがしてイクラをバラしたりもしたんですよ。鮭にもいろんな种类があるって、皆さん知っていましたか?そんなわけで、鮭には今でもちょっとうるさいんです(笑)。钓りやハイキング、キャンプなど、日常的に行っていたことを通して自然の豊かさに触れ、同时にこの美しい自然を守ることに関わっていきたいな、というばく然とした思いを抱くようになりました。
また、高校时代に仲良くなったアフリカ系アメリカ人の友人たちには、本当に色々な影响を受けましたね。彼らと会话をしていると、人种差别や社会问题についての话题が自然に出てくるんです。友达の影响でレゲエが大好きになり、ボブ?マーリーの歌にもすごく影响を受けましたね。贫困や人种差别を歌ったものが多くて本当に考えさせられるんですよ。「奥补谤」は今でも大好きな歌なんです。一绪に出かけたときに、友达がタクシーを止めようとしてもまったく止まらないのに、私が同じようにするとすぐ止まったりと、些细な差别を感じることも多くて。日本では、よくも悪くもみんなが同じような环境のもとで生活している。けれど例えば片方しか亲がいなかったりする友达も多くて、今まで当たり前と思っていたことが、実は当たり前ではないんだなぁ、ということに気づかされショックを受けました。それから、アラスカという土地柄、エスキモーの人たちに対する国の福祉政策の误りや、差别というものも直に目にして、そんな経験から人々の役に立ちたい、特に社会的地位が低く「声」をあげにくい人々の「声」を皆に伝えたい、と强く思うになったんです。
上智大学の外国语学部に入ったのは、関心があった开発経済や国际関係を副専攻で取ることができたから。在学中にブラジルで开催された地球サミットについて调べたりしているうちに、国际开発関係の仕事がしたいという思いが段々固まっていき4年生のときに姉妹校のひとつ、ジョージタウン大学に留学しました。决め手は、外交関係や开発関係の授业が充実していたこと、ばく然と兴味を持っていた世界银行のそばという好立地。外交や开発、また、高校时代から兴味のあった、公民権运动などに関する勉强をしました。
そんな中、世界银行の方と知り合う机会があり、インターンのお诱いを受けたんです。会议の準备やリサーチのお手伝いなどをさせていただいたんですが、関わっていたのがまさに自分が勉强している分野だったこともあって、とても兴味深い経験でした。そうしているうちに留学期间も终わり、帰国の準备をしているときに、ありがたいことに1年の短期契约のお话をもらったんです。すぐに日本に帰って2週间で卒业の手続きを済ませ、世界银行に入行しました。大学を卒业してそのまま、というケースはあまり闻かないので、自分でも非常に运がよかったと思いますね。
キャリアをスタートさせたのはよかったんですが、やはり短期契约ということで不安がないわけではなかったし、会计やファイナンスにも兴味があったので、惭叠础を取得するため近くのジョンズ?ホプキンス大学に働きながら通いました。もちろん仕事のほうも忙しかったので大変でしたし、ほぼ仕事と勉强だけの生活という感じでしたが、その分やりがいがありましたね。「游ぶのは后でいくらでもできる!」と思ってました(笑)。その间も短期契约を更新するという形で勤务を続けていたのですが、惭叠础を取得して、直后に正职员のお话をいただきました。
入行してからはしばらく世界銀行研究所(World Bank Institute: WBI)で、日本またその他の国の拠出金管理を担当していました。世界銀行のプライオリティーとドナーのプライオリティーが合うような資金配分をするのに気を遣いましたね。また副総裁がドナー諸国に出張に行くときの資料を作成したり、拠出金運営に関する枠組みや規定の取り決めなどにも関わっていました。2008年11月から南アジア地域総局に異動し、現在はアフガニスタン及びブータン担当チームの資金管理を担当しています。それぞれの国のプログラムに予算を配分、プロジェクトの進み具合のモニタリング、アフガニスタンにある世銀事務所の予算管理、また、運営に関わったりしています。例えば現在治安面が心配されるアフガニスタンでは、スタッフの安全を考えて防弾車を購入したり、セキュリティを雇ったり、とにかくお金が動くことに関してはすべて関わっていますね。ブータンでは、世銀事務所を開くための準備などのお手伝いもしています。いわゆる裏方的な仕事で、前に出たり注目を浴びたりといった華やかなタイプの仕事ではありませんが、自分のスキルを活かせるし、少しでも発展途上国の開発に貢献できているという実感があるので、自分にはすごく合っている仕事だと思っています。また、世界銀行で働いているとやはり色々なバックグラウンドや人種の人たちと一緒に働くことになるので、そういった面で刺激を受けているというメリットはすごく感じますね。今後の仕事の目標としては、もっと現地で、クライアントと直に携わっていく仕事もしていきたいというところでしょうか。
器械体操に始まって、水泳、バドミントン、バスケ、陆上、テニス、サッカー、竞技スキー、と小さい顷から色々なスポーツをやってきました。高校时代にはバスケで奨学金を受けて大学に进みたいとまでも思っていました。诸事情で日本に帰りましたが、実现していたら违う人生があったかもしれませんね(笑)。好奇心旺盛なので、いろんなスポーツをやってみたくなってしまうんです。アルティメットフリスビーというバスケとアメフトを合わせたような竞技では、全米トーナメントに进んだことも。最近は、サーフィンにはまっています。
スポーツを通して学ぶことは多くありますね。忍耐力、戦力的に考える力、チームワークなど。振り返ってみると、私は今までストレスや挫折をあまり感じたことがないんですが、それというのもなにか大きな决断をする前には彻底的に下调べをする性格と、スポーツのおかげなんじゃないかな、とつくづく思います。仕事においても、スポーツで学んだことがとても役に立ちました。あとは、特にアラスカ时代はスポーツを通して友人が増えていくことが多かったですね。言语や人种を超えて人をつなげてくれる、そういう力がスポーツにはあるんじゃないでしょうか。
今の若い人たちには、人生においてパッションを大切に、と言いたいですね。自分は何に兴味があるのか、何がやりたいのかをきちんと见据えて、情热を持ってそれを追求してください。日本の社会や教育システムというのは、ジェネラリストを育てるのは上手だけれど、専门家が育ちにくい倾向があるように思います。やはり世界银行のような组织に兴味を持っているなら、自分の兴味がある分野に的をしぼって、専门性を高める勉强をするべきではないでしょうか。自分の専门分野を持ち、世界の専门家に胜るものを身につけられるかどうかが非常に重要だと思います。顽张ってください!