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特集2009年11月17日

佐伯洋 世界銀行 南アジア地域総局 人間開発局 教育セクター 業務分析官~第8回 世银スタッフの横颜インタビュー

ご本人の言叶を借りれば「暗い本ばかり読んでいた」大学の始めから一転、国外の大学院に留学するなど开発や学问への兴味に一気に目覚めた佐伯さん。新卒で就职した会社を3年半で辞めたり、お金が底を尽きそうになりながら就职活动をするなど、柔和な语り口からは意外に思えるドラマチックな経歴を语ってくれた。「人生には胜负も必要」というドキッとするような信条を持ち、またそれを実行した彼の今までの道のりとは…。あなたは人生を捧げられるような何かを、もう见つけましたか?

Hiroshi Saeki

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神奈川県茅ヶ崎市出身。97年駒澤大学経済学部卒業。マーケティングオフィサーとして矢崎総業株式会社に勤務。2002年デューク大学テリー?サンフォード行政大学院入学。ユニセフでのインターンを経て、2004年デューク大学国際開発学修士を取得。同年、世界銀行南アジア地域総局人間開発局教育セクターに入行。主に高等教育のプロジェクトに従事しプロジェクトの経済分析、影響評価(Impact Evaluation)、産学連携に関する研究、及び様々な統計調査を担当。最近は昨年購入した一眼レフカメラを出張時に持参し、プロジェクトからは見られない別の素顔の途上国を撮影することに新しい楽しみを感じている。

すべてを変えた大学3年の夏

大学1?2年生の顷は、正直に言って何に対してもあまりやる気がないダメ学生だったんです。勉强もしていなければサークルに打ち込んだわけでもなく、バイトもしていなかった。お耻ずかしい话ですが、当时の记忆すらあまり无いんですよ。家が茅ヶ崎で大学から远かったこともあって、授业に出ないで海に行ってずっと哲学の本を読んでるようなヤツでした。それでも家族は黙认してくれてたんですが、3年生になったとき母亲が「大学生活も折り返しだし、短期留学でもしてみたら?行く気があるのならお金は贷してあげる」と言ってくれて。それで、ふと行ってみようかな、という気になったんです。思えば、それが人生の転机でしたね。

大学で行われている夏休みの语学研修に参加して、イギリスのエクセター大学に行ったんですが、一绪に参加した驹泽大学の学生、そして様々な国の学生たちとの出会いがまずありました。话してみると、みんな自分の将来のことをすごく真剣に考えているんです。教师になると决めている人もいれば、卒业したら1年世界旅行をして自分を见つめたいという人もいる。それぞれの学生が、自分なりに将来を模索している様子に衝撃を受けましたね。また、その研修を引率してくれていた経済学の先生との出会いも自分にとっては非常に大きいものでした。とてもバイタリティがあって懐が深い方で、语学の授业が终わった后に留学生たちと一绪にお酒を饮みながら、経済や科学、その他とにかくいろんな话をしてくれたんです。今考えると、一学生だった自分の话なんてたいした话じゃなかったと思うんですけど、その先生はすごく真剣に话を闻いて、そして答えてくれました。そこからですね、学问に対する兴味が涌いてきたのは。

就职、そして仕事渍けの日々

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日本に帰ってきてから、その先生の授业だけは真面目に出るようになりました。自分は本当に何に兴味があるのかということを真剣に考え始めたのも、たぶんこの顷だったんじゃないかな。そうして考えているうちに、テレビで见たユニセフ亲善大使?黒柳彻子さんのアフリカでの活动が非常に印象に残っていたことなどから、自分が兴味があるのは国际协力や开発の分野なんだ、とわかってきたんです。先生に早稲田大学の経済研究会に诱って顶いて入ったり、頼まれて経済の翻訳をしたりしているうちに「院に行ってもっと学问を究めたい」と思うようになりました。

でも、早稲田大学の経済研究会で自分の考えを话すと「日本の场合、一度院に行ってしまうと、アカデミアの道しかない。どうせなら一回社会に出てみれば?」と言われて。国外の院にも兴味があって色々と调べていたんですが「実务経験3年以上」という条件が多かったこともあって、「とりあえず3年働いてみよう!」と决め、4年の春から就职活动を始めました。就职したのは、社是にも「世界の人たちと共に成长していく」と掲げているような、海外での活动に力を入れている会社です。マーケティング担当だったこともあって、帰宅は毎日夜の0时过ぎと仕事渍けの日々でした。仕事は楽しかったしやりがいもあったんですが、3年経ってみて、やはり自分のやりたい开発や教育の分野では、短期的な利益を追求しなければならない民间公司ではできることに限界があるな、と感じ、大学院への留学を决意したんです。

人生、1度くらいは胜负が必要

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结局3年半ぐらいで会社を辞めたんですが、辞める前に学校が决まっていませんでした。普通は辞める前に决めるものなんでしょうが、僕の场合仕事が忙しすぎて、そんな暇がなくて…。迷いが无かったといえば嘘になりますが、人生の大半をかけてもやりたいと思える仕事に会うために、人生1度ぐらいは胜负してもいい、そう思って辞めました。叔父に言われた言叶を今でも覚えているんです。「20代のうちは好きなことをやって、失败してもいい。30代になったときに、自分の进むべき道が少しでも见えていればいいんじゃない?」と。

无事に学校も决まり、留学したのはノースカロライナ州のデューク大学というところ。开発や経済学、统计について学んだんですが、ここには実际に世银で働いていた教授が多く、教育のプロジェクトのケーススタディなどに非常にリアリティがあったので、その时学んだことは、今でも役に立っていますね。

崖っぷちだった二度目の就职活动

元々、黒柳さんの影响もあってユニセフで働きたかったんです。それでインターンもしてみたんですが、自分の理想が高すぎたのでしょうか、少しイメージと违う部分があった。それで目标を国连に変え、ニューヨークに行って就职活动をしようと思ったんですが…银行にあったのは、たったの3,000ドル。これじゃニューヨークに行っても数日でお金が尽きてしまうと思ってあきらめました。ルームメイトだった2人と「まずはワシントン顿颁の狈骋翱で経験を积んでから国连を目指そう」と话して、狈骋翱を探しているうちに世银のスタッフと接する机会があったんです。実は、’80?’90年代に色々な失败をしてきたということで世银に対するイメージは当初悪かったんですけれど、色々な人と会っているうちに、スタッフの诚実な姿势に感铭を受けて徐々に考えが変わり、ここで働きたいと思うようになりました。そう思うようになってからは、1日10通ずつぐらい「世银で働きたいんです!」という内容のメールを知り合ったスタッフに送っていましたね。そして面接をしてもらえることになり、デュークを卒业してそのまま入行することになったわけです。

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自分では、民间の経験がある、デューク大に行ったこと、経済?教育に近いことをしていたということなどが评価されたのかな、と思っていますが、「そのユニットが何を求めているかをきちんと调べること」も案外大事なんじゃないでしょうか。僕の场合、面接の前にどんなプロジェクトがあるかなどを调べておいて、「こんなプロジェクトがありますよね。自分はこんなことを学んだので、こういうことができると思います」というような言い方をしていました。

入行后はずっと同じユニットにいて、インドやネパール、バングラデシュなどの高等教育のプロジェクトに携わっています。民间との相互作用や、高等教育がどのような人材を辈出しているか、それはマーケットのニーズにあっているかなど、様々な调査を担当しています。现地で教师や生徒、生徒の両亲などと直接话をすることも多く、実际に问题の本质を感じられることが醍醐味ですね。そのため出张が多く、昨年はワシントンに半年もいなかったんじゃないでしょうか。高地や僻地に行くことも珍しくないので最初は体调を崩すことも多かったんですが、さすがにそろそろ5年も経つので、惯れましたね。

国外で顽张るための基盘

仕事中心の生活になりがちで、いろんな人にもっとプライベートも充実させろと注意されるんですが、こんな僕にも趣味はあるんですよ(笑)。まずは、小学校から続けているサッカー。小学校のときのサッカー仲间とは、今でも毎年大晦日に集まって试合をしてます。「お前が世界银行で働いてるなんて、俺たちにはなんだかまだ信じられないよ」って言われてますね。でも今でも小学校时代の友人とつながっているというのは、帰るところがあるという気がして精神的にも救われています。国外に长く住んでいると、日本の友人とのつながりが途切れてしまいがちなので…。今はモールやホワイトハウスの里なんかでよくやっているピックアップサッカーにたまに参加しています。谁でも参加できて、适当な时间に行って适当な时间に帰るというシステム。时间を决められると、途端に行きたくなくなるので…。ふらっと行って、「僕も入っていいですかー」みたいなノリがいいんです。

今ハマっているのはカメラ。会社を辞めたとき、留学费用のために売ってから远ざかっていたのですが、最近ようやくまた手に入れました。町の风景を撮るのが好きで、今年は1人で冲縄に行って写真を撮りました。週末も暇があればいじってますね。

「人生を捧げられるもの」に出会う

色々な本を読みましたが、今の若い人たちにあえて勧めるとしたら沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』という本でしょうか。カシアス内藤というボクサーについて描いたノンフィクションなんですが、「いつか胜负しないと」と思っているボクサーのその「いつか」はずっと「いつか」のまま…というストーリー。自分が「いつか留学したい」という気持ちの时に読んだのもあって、その気持ちを后押ししてくれた本です。

テクニカルな知识は勉强すればどうにかなるけれど、感じるものを得ることはそうはいきません。まずは、自分の人生の大半をかけてもいい、と思えることに出会って欲しいと思います。开発というのはいろんな人の人生に密接に関係しているので、「自分がこれを本当にしたいんだ」と确信できるものがあれば、民间でも何らかの形で発展途上国の役に立てることはあり得ますよね。そういった意味で、「どこどこで働きたい」というよりも、自分の中で本当に热くなれるものを探して、それを実现できるところはどこなのかを考えてもらえたら嬉しいです。顽张ってください!

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佐伯さん浑身の一枚。インドにて。
 

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