「外に出たい」という気持ちが强かった小?中?高时代 久留米出身で、大学まで福冈にいたんです。3人兄弟の末っ子だったんですが、一番上の兄が家でよく洋楽を聴いていて。今思うと、それが幼いころから何となく外国に兴味を持ったきっかけかもしれません。とにかく海外に行ってみたい、英语がしゃべりたい、という気持ちが强かったんです。それで、大学は単位交换留学できるところを选び英文学を専攻しました。
3年のときに学内の审査で选ばれ留学が実现し、1年间交换留学でイギリスへ行ったんです。
日本人であることを実感した列车での出来事 イギリスに行くまでに、もちろんそれなりに英语の勉强はしていたんですが、やはり実际に现地で生活をするとなると胜手が违って。イギリス式のアクセントやシェイクスピアのような文语に接していたということもあって、勉强の面では本当に苦労しました。ただ、それでも初めての海外生活は本当に楽しかったです。勉强の合间をぬって、2回に分けてそれぞれ1か月ほど、ひとりでヨーロッパを巡ったりもしました。今思うと无谋だったなとは思いますが…(笑)。若过ぎて、怖さも知らなかったという感じでしょうか。
一度、ポルトガルからパリ行きの列车の中でお金の整理を始めてしまったことがあったんです。何も列车の中でやらなくてもいいのにって今は思うんですけど、いろんな国を巡って来た后だったので色々な货币を持っていて、とにかく整理したかったんですよね。もちろん同じコンパートメントの中にほかの人もいて。で、トイレに行くときお金が入っているバッグを置いていったら…见事にやられました。后でチェックしたら现金がなくなっていて。本当にショックでしたけど、そういうひとつひとつの失败を通して、いかに自分が治安がよくて恵まれた国で育ってきたか、危険に対する感覚がないかということをずっと后になって実感しましたね。
勉强とインターンを両立させた大学院时代 イギリス时代が楽しすぎて、大学卒业后、本当はイギリスに戻りたいと思っていたんですが、奨学金のプログラムの関係で、アメリカのジョージワシントン大学に留学を决めました。国际経済?金融を専攻したのは、自分の性格上、将来就くなら、白黒はっきり答えが出るような仕事がいいなと思ったから。でも结局今は、资金洗浄や労働者による送金関连で、国の政策に関わる技术支援やアドバイスを提供しているので、政治的な面が逃れられない所も大いにありますが…。大学院时代は、勉强をしながら国连や新闻社でアルバイトをして、将来的に自分がどんな仕事をしたいのかを模索していました。
大学のときに思っていた「外国」はアメリカやヨーロッパだったけれど、そこに行きたいという梦は既に叶えたので途上国の开発のお手伝いをしたいと强く思うようになったんです。大学と世银も距离的に近かったですし、そういう影响もあったんでしょうね。大学院に来てすぐある世银の大きなセミナーに参加したのを覚えてます。いつの间にか世银で働くのが憧れになってました。
専门性が求められる仕事だから常に勉强が必要
大学院を卒业后、インターンをしていた金融先物取引业协会にそのまま残ったのですが、ある世银スタッフがその人の下で働けるコンサルタントを探しているという情报を得ました。面接の后、念愿の世银で仕事をできることになりました。世银の金融开発部门にある証券市场开発局と世界银行研究所(奥叠滨)(注1)の仕事を掛け持つことになりました。最初に担当していた仕事はキャピタルマーケット开発に関するもので、さまざまな国の証券市场をもっと育てていこう、というものです。証券市场がまだ无い国で市场をスタートさせたり、既に市场がある国でも取引している物が少なければそれを拡大させたり。大学院时代に金融を学んでいたとはいえ、あくまでも金融全体に関する大まかな勉强だったので、细かな部分は実际に仕事をするうえで学んでいきました。
その后、上司が変わって民间寄りのプロジェクトが多くなり、コーポレートガバナンス等の仕事を経て、今は资金洗浄や労働者による送金に関する仕事を担当しています。例えば、法律が厳しすぎると、あるサービスが本当に必要な人がそのサービスを受けられないケースが出てきてしまう。难しいんですが、国际勧告を守りつつそのサービスが悪用されず、必要な人にきちんと提供されるためにはどうすればいいかということを各国にアドバイスしたり、ある国が国际勧告を守っているかを评価したりといった仕事です。世银を代表して国际会议に出て主张したりプロジェクトを立上げ発表したりと大势の前で话すことがよくあります。私は紧张するタイプでしたがもう惯れてしまいましたね。反対に楽しいと思えるようになりましたね。今思えば大学院の授业やセミナーでじっと座ってるだけの自分が嫌で出来るだけ手を上げるようにしてたんですが、英语に完璧自信があったわけではないので、よく途中から人の话が闻けず自分の言うことを何回も头の中で练习していたのが懐かしく思えます。英语が母国语だったらなーとあの时よく思いましたね。出张は色んな国に行きます。でも一番多かったのはアフガニスタンかな。
家庭と仕事をどう両立させるかは…未だ模索中
ロシア人の夫とはワシントンで出会ったんですが、お付き合いを始めてすぐに彼が自分の国に帰ってしまい、2年ほど远距离恋爱していたんです。こちらに戻ってきて5年の时を経て无事结婚することになり、去年の5月に娘が产まれました。なるべく早く仕事を终わらせて帰るようにするなど、仕事と家庭を両立させる努力はしていますが、そのバランスはまだ模索中です。他のワーキングマザーはどうされているんでしょうか?娘が生まれる前には自分の时间が沢山あったのにそれでもその时は「时间が足りない!」と言っていたのが嘘のようです。
「欲しいものは自分で手に入れる」ことの大切さ 若いってそれだけで本当に素晴らしいこと。将来の时间がたっぷりあって、何にでもなれる可能性があるんですから。私は具体的にこの専门性の仕事を絶対したいというのがあったというより「外国に行きたい!」という気持ちだけでここまで来たけれど、今の时代は専门性の时代。目标は具体的に立てられるなら立てられるほどいいと思います。5年先、10年先、20年先でも。
もうひとつ、人生で重要なのがチャンス。来たときに逃がさないのはもちろん、来ないときは自分で作るという気持ちが大事なんじゃないでしょうか。日本で育つと、「欲しいものは自分で手に入れる」「上司に自分のやりたい仕事を要求相谈してみる」という考え方をするのは难しいと思いますが、西洋文化だとそれが当たり前。私は日本人である良いところはそのままに、でも欧米人や他の国の人に引けをとらない态度をとるよう注意してます。まだまだ国际社会は欧米主体なので、欧米のやり方でものを进めていかないと置き去りにされてしまう可能性があります。例えば世银では个人の贡献が重视される。だから内容のある発言をどんどんしていくこと。若い人たちには无限のチャンスがあります。これからの国际社会でどんどん活跃していって欲しいなぁと、心から愿っています。
(注1)世界银行研究所(奥叠滨)???世界银行とその加盟国の専门知识を途上国の政策担当者意思决定者と共有し、更なる拡充をはかるために设立。途上国の政府?研究机関?公司?报道?狈骋翱などの専门家?担当者を対象とした研修プログラムを企画?実施している。