木瓜影院

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特集2010年3月23日

高田美穂 世界銀行 南アジア地域総局 持続可能な開発局 農業?農村開発セクター 農村開発専門官~第13回 世银スタッフの横颜インタビュー

どこに行っても爱されるだろう人柄がうかがえる弾けるような笑い声、人との间に壁を作らないオープンな话し方が特徴的な高田さん。途上国の支援に変わらぬ情热を燃やし続ける彼女の、国际公务员への道のり、现场での苦労、ユニークな趣味などを、たっぷりと语っていただいた。

国际平和に目覚めた高校时代

青森県で产まれ、大自然に囲まれて、塾にも通わず川や山、海で游んでばかりの子供时代を送りました。転勤が多い家だったので、同じ県内で6回ほど転校を繰り返したんですが、今思えば、初めての土地にすぐになじむ术は、この时に身についた気がします。

そのまま中学?高校と、ひたすらぼーっとした生活を送っていたんですが、高校2年か3年の时に湾岸戦争が始まったんです。近くの叁沢基地から戦闘机がたくさん飞び立っている事実を知り、现地の人々や米兵が死伤したといったニュースをとても身近に感じ衝撃を受けました。戦争の恐ろしさを初めて実感し、高校生なりに「国と国がきちんと话し合えれば戦争を回避できるかもしれない。武力に頼らず、平和に话し合いで问题を解决する道はないものか」と考え、国境を越えて仕事するということに初めて兴味を持ちました。それならばやはり国连だろう、国连に入るにはどうすればいいんだろう?と自分なりに考えた结果、「英语を身につけることができて」「様々な人种の人と触れ合えそうという理由で东京外语大学に进学しました。

开発への兴味、そしてアフリカでの现场体験

大学ではメンバーが各国の代表のつもりになってロールプレイングをする模拟国连というサークルに入りました。まずは意见交换の為、自分が担当になった国のことを详しく调べます。そうやってインドやガーナ、カンボジアなどを调べて「どのように国际社会に助けて欲しいか」を考えていくと、様々な问题の根源に贫困があるのではないかと思えてきたんです。

それまでは国际平和に関心があったんですが、このときに自分が本当にやりたい分野は途上国の开発なのかもしれない、と気づきました。

そうと决まったら行动は早いので、在学中にアメリカの狈骋翱のプログラムを利用して、アフリカのジンバブエの村で行われた、ある母子保健に関するリサーチプロジェクトに参加しました。约1か月滞在して、子供たちの体重を量ったり离乳食を作るデモンストレーションをしたり。自分にとって初めての现场での体験であり、非常に有意义な経験だったのと同时に歯がゆさも感じました。例えばあの叶っぱは食べてはいけない、この実は栄养があるなどということは现地の人々のほうが详しくて、我々に教えられることは何もないわけです。いくら「力になりたい」と思っていても、现场で自分が実际にできることの少なさを思い知らされましたね。

就职→留学→晴れて国连へ

国连は修士号の资格がないと入れないので、学士号のみでも受け入れ态势がある、国际协力机构(闯滨颁础)などの日本の援助机関を受けましたが、全て落ちてしまったんです。通产省の関係団体で输出保険に関する仕事に就つきましたが、やはり自分の本当にやりたい事とは违うと思い、1年半で退职しました。

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そこで入所したのが、アジア経済研究所開発スクール。国際機関で働く人をもっと増やそうという考えに基づいて設立された研修機関で、最初の1年はみっちり英語や統計、開発経済などについて勉強し、次の1年で海外の大学院に留学するというシステムをとっています。一刻も早く現場に出たかったのと、貯金が尽きそうだったという現実的な理由もあって、卒業までの期間が短いイギリスの大学院、その中でも、ケンブリッジ大学を選びました。ジンバブエでの経験から、豊かな都市部と比べて、極端な貧困のまま取り残される農村の経済を底上げをすることの重要さを実感していたので、農業経済やフードセキュリティを学びたかったんです。在学中に国連のジュニア?プロフェッショナル?オフィサー(Junior Professional Officer:JPO)に受かり、念願かなって国連に入ることができました。「世界食糧計画(WFP)や国際連合食糧農業機関(FAO)のような機関で、現場で働きたい」という希望を出し、論文のリサーチのためにたまたま訪れていたタンザニアでWFPのタンザニア事務所所長に会いに行って話をしたら、すんなり仕事が決まりました。

纷争、难民???。厳しい现実に直面

タンザニアでは、西部にある大きな难民キャンプへの食粮支援や、干ばつ地域での干ばつ防止策や食粮支援、贫しい地域への学校给食の配给などのプロジェクトに3年间関わりました。やはり一番印象的だったのは难民キャンプの仕事でした。10万人ほどもいる难民たち全员に水や食粮がいきわたらず、石を投げられたこともあったし、ルワンダの虐杀で両亲を杀され、逃げてきた子供に会ったときは本当にやりきれなかったですね。纷争というものに强い関心を持ち始めたのは、このときの経験からです。

その后行ったのが、フセインが健在だった顷のイラクのクルド人地域でした。当时経済制裁が行われていたイラクでオイルマネーの使い方を监视したり、食料の配给を管理したり、夫を失ったのに土地の习惯のために社会进出がままならない女性の収入を确保するためのプロジェクトなどを担当しました。この仕事はすごくやりがいがあって面白かったんです-が、イラクに行って半年もしないうちに戦争が始まってしまったんです。始まる5日前に命令を受けてクウェートに避难し、アメリカ军のブリーフィングを受けながら戦争が终わるのを待ちました。戦争终结后、再びイラク入りしたんですが、混乱状态の现地に少しずつ支援物资などを供给しているうちに治安が急激に悪化して、再び避难を余仪なくされてしまいました。しばらくクウェートやアンマンで治安がよくなるのを待っていたんですが、なかなかよくならないので东ティモールに移动しました。

国连から世银へ

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そのときに世银の驰笔笔が年齢的に最后だったので受けてみたら、とんとん拍子に合格したんです。国连での仕事にも満足していたので多少迷いがあったんですが、相谈した上司に「ほかの机関も知ったらどうだ」というアドバイスを顶いたし、イラクでの経験から、応急処置的な紧急支援よりも、より长期的な支援に関わりたいと思いはじめていました。奥贵笔の食粮支援の仕事は紧急処置的な要素が强くて、一时的に危机を抜け出すことはできるけど、危机が起こった根本的な问题の解决にはなりません。纷争や危机を繰り返さない為には、国にまとまった资金を供给して、その国の政府が方向性をもって国を育てて向上させていかなければならない。世银ではそういった过程に10年、20年の长期的なかかわりを持っていけるのではないかと思ったんです。

ワシントン顿颁での1年目は决して顺调というわけではなく、初めての现场以外の仕事は、私にとってすごいカルチャーショックでしたね。それまで関わった国が国だったので、彼ら自身の力でやっていけそうな中进国を助ける必要が本当にあるのか?と考えてしまったり、ワシントン顿颁から现场の状况を见ずにリモートコントロールするというやり方に戸惑ったり。でも、リモートコントロールだからこそ同时期にいろんな国に関わることができるし、木ではなく森を见ることができるということに気づきました。

2年目は南アジア地域総局でアフガニスタンを担当しました。农村に実际に行ってコミュニティに関わったりすることができる上に、政府高官とも长期间の取り组みについて话し合える仕事内容なので、今は非常に満足しています。

紧张続きの现场仕事、気持ちの切り替えにはお笑いが必须

趣味のスキューバダイビングは、タンザニアのザンジバルで覚えたんです。娯楽があまりないので始めたんですが、イルカや亀を见たり、海中でただぼーっとしているだけでもとても気持ちいいんですよ。东ティモールではナイトダイビングを覚えて、仕事の后に潜ってぼーっとしているだけでもとても気持ちいいんですよ。东ティモールではナイトダイビングを覚えしたりしていましたね。ワシントン顿颁ではなかなかできませんが、休暇でエジプトに行ったり、タンザニアに里帰り(笑)するときなどに楽しんでいます。

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アフリカやアフガンに行って、现地の布を买ってきて服やベッドカバーを作るのも好きですね。これならワシントン顿颁でもできますし。现地のデザイナーやアーティストと话したり、彼らの作品を买ったりするのも出张の楽しみです。

また、メンタル面で私に欠かせないのが日本のお笑い。日本に帰ったら必ずルミネよしもとに行きますし、関西には一度住んでみたいなぁと思っています。家族や友人が私がお笑いを好きなことを知っているので顿痴顿を送ってくれて、现场时代も世界各国で日本のお笑いを见ていました。厳しい现场でたくましく生き抜くために大事な素质は、何と言っても忍耐力と楽観的な気持ちを维持できること。その点で、お笑いにはすごく助けられましたね。

「自分には无理」と决めつけない

若い人たちには、まずは自分のことを决めつけずに色んなことをやってみて欲しいですね。若い人たちと话すと「そんな场所に行って怖くないんですか」とか「女性でそういう仕事はやっぱり向いていないのでは」というようなことをたまに言われるんです。もちろん私も最初は怖かったし不安でしたけど、やってみたら何とかなりましたし、得たものが沢山ありました。最初から「自分には无理」とか「これは向いてない」と凝り固まらずに、何でもチャレンジしてみたらいいと思います。駄目だったらいくらでも引き返せる、それが若いということの特権だし、色々やっているうちに、必ず自分が一番社会に贡献できる何かが见つかるはずですから。

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