普通の翱尝から外资系証券会社へ 大学を卒业した后は、一般公司で普通の翱尝をやっていました。4年ほどたち「このままこの会社にいていいのだろうか」と疑问を感じていた顷に新闻の求人広告栏にメリルリンチの募集记事を见つけ、何の会社かもよくわからないまま「面白そうだな」と直感だけで応募したところ、採用され、そして金融の世界に入りました。
ちなみに大学は経済学部ではなく文学部で社会学を専攻しました。よく金融の世界では経済学部卒が主流と考えられがちですが、特にジェネラリストとしてマネジメントの仕事をする上では社会学で学んだことが人や组织を理解するために非常に役立っています。証券会社も世银も、确かに経済学を学んでいたほうがエントリーレベル(入社段阶)では入りやすいかもしれないけれど、専门的な知识の多くは仕事を通じて学习できる。仕事をしていく上で重要なのはむしろ、好奇心を常に持つこと、そして、自分がやっている仕事の意味や全体像の中での位置づけを常に意识することだと思っています。
メリルリンチでは、やらなければいけないことが山積みで、早朝から深夜までずっと仕事をしているときもありました。もちろん、「もっといっぱい寝たいな」と思うこともたまにはありましたが、「いくらでもやることがある」という状況を楽しむことができました。しんどいと思う瞬間はたぶんあったのだろうけれど、記憶に残るほどしんどいということは…なかったかなぁ。 思うに、自分のやっていることが楽しいと思うことができれば、いくらでも頑張れるのかもしれません。裏を返せば、今やっている仕事がつまらないのだとすれば「その責任の半分は自分にある」と思うべきなのかもしれません。どんな仕事であっても、それなりに面白さは見つけられるはず。同じ状況も、悪い側面からではなく良い側面から見るように心がけたり、全体の枠組みの中で捉えれば、全然違って見えるのではないでしょうか。
まさかの社长就任 メリルリンチでは结局7年间社长を务めていたのですが、そもそも自分が社长になるだなんて当初はまったく思っていませんでした。私は、次期社长の候补者を探す立场だったんですから。それが、候补者选びが难航するなかで「やってみないか」と言われて…まぁ、とりあえずやってみようか、と(笑)。ためらいは、なかったです。
最初の仕事は约3000人いた社员を约半数まで削减する大规模なリストラを行うことでした。非常に大変でしたが、各部门と话し合いながら粛々と进めていきました。
组织の上に立つうえで重要なのは、社员1人1人に対してきちんとしたメッセージを伝えられるように努力しリスクを最小限化すること、そして、その上で残るリスクに対し自分が全责任をとる覚悟を持つこと、だと思います。あとはリスクをかぎ分ける嗅覚、勘ですかね。これはすべからく経験から得るもの。失败の原因はなんだったのか、どうすれば防げたのかをきちんと学び、失败を繰り返さない、その积み重ねの中で、少しずつ会得していくものではないでしょうか。
惭滨骋础长官として 社长に就任してあっという间に7年がたち、公司としても成长してきて、そろそろ社长の座を次の人に渡さなければと思っていたところに、世界银行のお话をいただいたんです。同じく国际的な仕事だけれど、また社会への関わり方が违うので面白いなあ、とすぐに兴味を覚え、引き受けることを决めました。
私が長官を務めている多国間投資保証機関(Multilateral Investment Guarantee Agency:MIGA)は世銀の組織の一部として、世銀グループ内の国际復兴开発银行(滨叠搁顿) 、や等とともに贫困の削减に取り组んでいます。具体的には、様々な政治的リスクに対する保証の提供や资金调达コストの低减などを通じて民间投资を促进することにより、発展途上国の経済的に自立した発展を后押ししています。政治的リスクというと政情不安を思い浮かべる方も多いと思いますが、投资财产の国有化、通货の兑换停止や送金停止、政府の契约不履行、特恵待遇や许认可等の合意事项の一方的な破弃など、その范囲は多岐にわたります。
民间から国际机関に移ったわけですが、両方とも金融机関ですので、カルチャーショックのようなものは基本的にありませんでした。敢えて违いを述べるのであれば、世银では、政治のリスクに焦点をあてるという点、そして、结果を出せればあまりプロセスを问われなかった前职とは异なり合意形成のプロセスを重视するという点は、确かに异なっているかもしれません。
正解は「作り上げる」もの
世银への就职を希望するのであれば、まずは英语でしょう。これは、国际机関である以上しょうがない(笑)。私は、英语は日本の学校教育でしか勉强していませんでしたから、仕事の中で使いながら覚えていきました。もちろん、最初は大変でした。英语がネイティブな人とそうではない人との差はありますし、议论することが当然という文化が染みついている彼らの势いにおされてしまうときもありました。そして今でもそれは私にとっての课题です。
とはいえ、言叶は「道具」にすぎません。やはり伝えたい中身、自分の核を持っていることがなによりも重要です。自分がないと、自分自身を前面に押し出さなければいけない、自分を大きく见せなければ不安になる、そして、人のことを闻く余裕がなくなる。逆に、核となる自分を持ち、自分の核に确信を持てれば、他人の意见を闻き、それを受け入れる余裕がうまれる、そう思うのです。
世の中、価値観や考え方は人それぞれです。どれか一つが正解ということはない。优先顺位やものを见る角度、そして考える顺番すら违うこともある。日本ではとかく皆と意见が同じでないといけない、正解は一つだと思われがちです。でも「正解」とは、そこに「ある」ものではなく、様々な「正解」を持ちよって、みんなで话し合いながら「作りあげる」ものだと捉える柔软な考え方が必要だと思っています。
ほんとうに英语ができるということは、相手の思考方法や価値観を理解し、その上で、その思考プロセスに当てはめたときに最も理解しやすい表现に変えて、自分の意见を伝えられるということかもしれません。
现実に直面するのは、早い方がいい
(どのような日本人に入行してほしいか?との问いに)基本的に、元気のいい人にきてほしいです。色々な人の意见をきちんと闻いて、本当に正しいもの、ベストなものを选べる、そんな国际感覚と国际社会の中で日本人として生きていくことへの意识をもった日本人に来て欲しいですね。
最后に、最近の若い人たちへのアドバイスをするとすれば、2つあります。
まず、「みなさんが住んでいる世界というのはとても小さい世界。その小さい世界を前提に将来の自分の可能性を限定しちゃいけない」ということ。学生时代って、実际我々が生きている世界に比べてほんとうに小さな世界でしか生きていない。周りも同じようなひとばかりだと思います。もちろん将来何をしたいのか模索することも重要だけれど、だからといっていま自分が见える范囲の中で决断する必要はないんです。それよりは最初の一歩、より大きな世界への第一歩をふみだすこと、アクションを起こすことが重要なんだ、と思っています。
2つ目は、「最后は一人で生きていくという事実にできるだけ早く向き合い、その覚悟を持つ」ということ。人间はどこかのタイミングから1人で生きていかなければならない、最低自分1人は食べさせていかなければいけない。そして、この事実にどちらにしても向き合わなければならない。そうであれば、先延ばしにしないで早いうちに向き合ったほうが楽だよ、若いときのほうがハードルは低いから、と。そして、それは谁でもができることだから、怖がることじゃないよ、とも。実际私も、メリルリンチ入社7年目に初めてニューヨークに一人で渡り、本部で1年间仕事をしたんですが、そのとき「知らない土地でも自分ひとりでお金を稼いで、生きていけるんだ」と気づいて大きな自信になりました。だから、若い人たちにも、一歩踏み出す勇気を持って欲しい、そう强く思うのです。