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特集2010年11月9日

吉野伸哉 国際金融公社(IFC)ICT(Information and Communication Technologies)事業部 インベストメント?オフィサー~第24回 世银スタッフの横颜インタビュー

海外で幼少を过ごし、日本の大学の付属校から日本の大学、商社を経て私费で米国のビジネススクールへの留学という経歴に、一本筋が通った人柄を感じさせる吉野さん。穏やかな表情とその生き生きとした语り口にすっかり引き込まれながら、今までのキャリアや仕事とプライベートのバランスに関するお话をうかがった。今でも大切にしているという行动基準とは、一体?

Shinya Yoshino

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ポーランド(ワルシャワ)で生まれ、小学校4年から高校終了までをニューヨークで過ごす。1998年慶應義塾大学経済学部卒業、三菱商事入社。三菱商事では途上国向けのODAプロジェクト及びICT(Information and Communication Technologies)分野での新規事業立ち上げ、ベンチャー投資に従事。2007年にハーバード?ビジネス?スクールを卒業後、国際金融公社(IFC)に入社。インフラ事業部門を経て、現在のICT事業部門へ。途上国におけるICT企業向けの投融資を担当。

高校で受けた「カルチャーショック」の理由

父の仕事の関係で、生まれはポーランドなんです。ただ、小さかったので记忆はほとんどないですね。その后8年间をニューヨークで过ごしたんですが、中学と高校の最初は现地校に通い、その后、庆応义塾大学の付属高校のひとつである庆应义塾ニューヨーク学院に第1期生として入学しました。それまで外国人に囲まれた暮らしが当たり前だったので、周囲のすべてが日本人という环境に最初はカルチャーショックを受けましたね。自分を含めて寮生がほとんどだったり、海外の中の日本社会というようなある种闭锁的な环境で、今思うとやはり独特の文化があった気がします。部活などもすべて自分たちで作らなければいけなくて、経験者に教わりながらラグビー部を立ち上げたり、バンド活动をしたりしていました。

今の选択に影响したかもしれない「偶然の出会い」

僕の姉はアメリカの大学に行っていたんですが、その姉から话を闻いていて憧れがあり、実はアメリカの大学を受けたりもしたんです。ただ、周囲がエスカレーターで庆应大学に行く中、自分だけが违うことに打ち込むだけのモチベーションがなかったのと、両亲が日本に帰って来ることを望んでいたこともあり、记念受験的な结果に终わってしまったんですが。

结果的には帰国して庆应义塾大学に入学したんですが、経済学部を选んだのに、特にきちんとした考えがあったわけではないんです。长い间海外に住んでいた人は、环境が似ているからという理由で庆应だと厂贵颁(湘南藤沢キャンパス。环境情报学部や、総合政策学部などがある)を选ぶ人も多かったんですが、庆应义塾ニューヨーク学院での経験も考えて「あえて庆应の中では歴史がある学部に行くのもいいな」と、看板の学部のひとつを选んだという感じです。ただ、自分の中で姉から闻いていたアメリカの大学の印象があったからか、入って数か月で「饮んで游んでるだけじゃないか」と、日本の大学に幻灭したところもあって。いつかアメリカの大学に行くぞ、と心の中で密かに决意したのはこの顷だったと思います。

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1?2年生の间はラクロスに热中していたんですが、さすがに3?4年はちゃんと勉强しようと、意识的にハードな国际経済の深海ゼミを选択しました。贸易、开発、资源、国际金融のサブカテゴリーの中、僕は开発を选んだんですが、ある日このゼミに世界银行のリクルーターの方が来て説明会を开いてくれたんです。リクルーターなのに大学院に行かないとダメ、という内容で、しかも全部英语だったので少し面食らいつつも、こんな选択肢もあるんだ、とこの日の出会いが心に强く刻まれたのも事実です。これがなかったら、世界银行グループで働くということは考えなかったかもしれませんね。

商社での経験、そしてビジネススクールへの挑戦

「海外で働きたい」「国際的な舞台で活躍したい」というシンプルなキーワードで、メーカー、邦銀、金融、商社など幅広い業界を対象に就職活動をして、最終的に三菱商事に入社しました。最初の3年間は情報産業グループに配属され、途上国向けのODA(政府開発援助)プロジェクトを担当。主に東欧、CIS(Commonwealth of Independent Stats:独立国家共同体=旧ソ連地区)で医療分野の業務に従事していました。例えば、ゼネコンとタイアップしてインドに小児病棟を建てたり、モルドバの母子病院に医療器材を提供したり。次に担当したICT分野での新規事業でアメリカ企業と合弁で会社を立ち上げたんですが、会社の経営や管理に関する興味が高まると同時に、自分の足りないところがはっきりと見えてきたんですよね。大企業の一員として優秀であるのと、会社経営で手腕を発揮するのとではまったく違うスキルが要求されると感じましたし、高校や大学の頃はアメリカの大学への漠然とした憧れだったけれど、自分は今ビジネスをやっているんだからビジネススクールに行ってMBAを取るべきだ、ときっぱりと思いました。

ビジネススクールは自分に力をつけるための场所

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会社に留学制度もあるんですがなかなか选考で认めてもらえず、自分でビジネススクールを受けるという、ある种强硬手段に出ました(笑)。日本の公司だと、ひとつの场所で生きていくことはできても、自分の価値をきちんと把握して、いつでも外で胜负できる、というふうに意识するのはなかなか难しいと思います。私费でハーバード?ビジネス?スクールに留学したのは、そういった意识を持つため。会社を休んでまで行くのだから、自分が纳得する学校に行きたいと思ったし、たとえそれで会社の金銭的なサポートが得られなくてもしょうがない、と考えました。

ビジネススクールでは、リーダーシップとは、ということを嫌というほど教えられましたね。自分がいずれリーダーになるときに何を考え、どんなリーダーになるのかということを考えさせられた2年间でした。また、学生団体の代表の1人に选ばれ、各国の学生と议论をする中で「国とは何なのか」ということや、国际社会について考える机会が多くあり、勉强になりましたね。

滨贵颁への入行、そして现在の仕事内容

在学中にゴールドマンサックスでインターンを経験したものの、自分としてはあまり興味が持てず、三菱商事に戻ろうかな、という気持ちだったんです。しかし、色々と考えているうちに世界銀行のリクルーターや三菱商事での業務で関わりがあったIFC(International Finance Corporation:国際金融公社)を思い出し、今までの経験を考えたときに、自分がIFCで働くことは意義があるんじゃないか、と思ってIFCを受けました。

GTTプログラム(Global Transaction Team:グローバル?トランズアクション?チーム)を通じてIFCに入行したんですが、このプログラムは1年ずつ2種類の仕事をして、どちらかの仕事に配属されるというシステム。最初の1年はインフラに関わる仕事で、フィリピンの老朽化した電力発電所を建て直したり、ヨルダンの最南端の地下水脈から水を汲み上げ、首都のアンマンまで持っていくというようなプロジェクトにかかわりました。次の1年はICT事業部で情報通信に関わる仕事を担当。どちらかと言えばインフラのほうがIFCでは王道の仕事なんですが、2年目に経験した情報通信のほうが自分のやりたいことだったので、そのまま今に至っています。

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今の部署では、途上国のベンチャー公司への投资を担当しています。例えばアルゼンチンの电子决済の会社や、贫しい人でもパソコンを使って电车などのチケットを现金购入できるシステムを作っているインドの会社など。具体的にはメールのやりとりから始まり、会社の视察などを経て会议で投资の决定をするんですが、「その公司が成长できるポテンシャルがあるかどうか」「それを実现できる経営阵がいるかどうか」「その国に対する开発効果があるかどうか」が判断基準ですね。

「ワークライフバランス」の実现

1歳になる娘がいるんですが、育児はなるべく手伝うように心がけています。「イクメン」なんて言われると照れるんですが、日本の企業と違って、今の職場はワークライフバランスにおいてはとても理解があると思いますね。毎日1時間ずつ長く働いて、2週間に1度休みを取るというAWS(Alternative Work Schedule)と呼ばれる制度があったり、今はパソコンと携帯電話さえあればどこにいても仕事ができて、社内的にも常識の範囲内でそういう働き方が認められている。こういう制度などを利用して、2週間に一度はなるべく休んで家事や育児を手伝ったり、夜は早めに帰って家族と食事をして、自宅で仕事をしたりしています。やはり海外で子供を育てていると、おじいちゃんおばあちゃんのサポートがないので、夫婦で助け合えるところは助け合っていかないとね。通勤時間を短めに設定しているのも、限られた1日を上手に使うための自分なりの工夫のひとつかもしれません。

今后は今の仕事内容をもっと発展させていきたいですね。これからよりアジア地域での仕事が増えていくと思うので、例えばワシントン顿颁ではなく现地に近いところで働くということも视野に入れています。また、组织の中で働くのもいいのですが、もしタイミングや机会が合えば、将来的には自分で何かを立ち上げてみたいという気持ちもありますね。

should doではなくwant to do

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若い人たちには、一度は外から日本を见て欲しい。日本を理解するのはもちろん大事ですが、外から见たときに日本がどんなふうに见えているのか、どんな问题があるのか、考えたことはありますか?やはり自分が国际机関で働いていて、いろんな国と比べたときに日本は今すごく元気がないな、と感じます。日本の中でただ顽张っていればいいという时代は终わり、これからは本当の意味でのグローバリゼーションが求められる时代。日本人として、どこに価値を置いてどこでビジネスをするかを、危机意识とビジョンを持って真剣に考えて欲しいと思います。

昔読んだ『7つの習慣』で今でも心に残っているのが、should do(やるべき)ではなくwant to do(やりたい)で行動する、ということ。今でも自分の行動基準はそれだと思っています。あなたは今、やりたいことをやっていますか?

 

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