将来への意识を変えたメキシコでの体験 父の仕事の関係で、生まれはフィリピンのマニラ、小学校时代はカナダのバンクーバーで、中学、高校、大学は日本で过ごしました。気がつけば「将来は英语を生かして国际関係の仕事ができたらなぁ」と漠然と思っていましたね。初めて开発という仕事を意识したのは、大学生のとき父の知り合いを访ねてメキシコに行ったとき。2か月ほどかけて、メキシコシティからユカタンなど南部の方にバスで下っていったんですが、初めての途上国ということもあって、大きなカルチャーショックを受けました。日本を出発する前は明るいラテン文化をイメージしていたんですが、子どもの服装や人々の生活ぶりに表れている贫しさに惊きました。アジアも见てみたくて4年生のときに旅行したインドやタイでは、路上生活者や人口密度の高さなど、メキシコとはまた违う形の贫困を目の当たりにしましたね。
开発経済の道へ 大学で法学部を选んだことに特に意味はありませんでした。でも、旅を経て开発に兴味が出てきたので、専攻を决めるときに国际法を选びました。ところが、教授と话していたら「开発に兴味があるなら、法律よりも経済を勉强したほうがいい」と言われて。大学を卒业するときに就职も考えたんですが、大学院で开発経済を勉强しようと思い、自分の関心により合っていると感じられた名古屋大学の院に入ることを决めたんです。
大学院ではミクロ経済の一分野である农业経済を学びました。フィールドに近い経済がやりたかったので満足でしたね。特に修士论文の研究のために1词2ヶ月フィリピンの农业大学に行く机会もあり、卒论ではココナッツ产业について书きました。経済を学んでいるうちに元国连の方などに会う机会も増えたんですが、皆さん口を揃えて「国际机関にエコノミストはたくさんいるから、エコノミストとしてやっていくなら博士号を持っていないとダメだよ」と言うんです。「じゃあ博士号を取るか」ということで、海外の大学院にいくつか応募しました。
博士号を取得するまで 受かった学校のうち、周りのアドバイスも踏まえてバークレーにある、カリフォルニア大学を选択。応用ミクロ経済の农业资源経済を学びました。2年か3年のときに、世界银行からヤング?プロフェッショナル?プログラム(驰笔笔) のリクルート担当の人が学校に来たので、履歴书を见てもらったのですが、その时に「あなたは学歴はあるけど、职歴がほとんどないので夏休みは外に出るべきですね」と言われて。そこで何かないかと探したところ、大学の隣にアメリカのエネルギー庁管辖の国立研究所があったんですね。そこでは途上国の排出量の颁骋モデルやシナリオについての分析の研究がされていました。学生ビザのままでも働くことができたので、博士课程の最后の1年半ぐらいは、ほとんどここで気候変动についての研究をしていました。また、3词4年の夏にはオーストリアの気候変动の研究所でも研究をしました。
私自身は、最初の1年はアジア経済研究所の奨学金を利用して留学しましたが、アメリカの大学の博士课程に留学する场合、必ずしもお金を贮めてから応募する必要がないことをアメリカに来て知りました。実际外国人クラスメイトで奨学金を利用している人はほとんどいませんでした。アメリカで、それなりのレベルの大学が博士课程の学生を受け入れるときには、最低限生活できるだけのお金が支给される场合がほとんどです。私の场合、当时で月额1500ドルほどが生活费として支给され、その代わりに教授のリサーチアシスタントやティーチングアシスタントを週に20时间ほど课されました。なお、このようなアシスタントの仕事も最初の1词2年は免除されることが多いように思います。もちろん、こういった生活费をもらい続けるためには、成绩をある程度キープすることが求められますが、博士课程はやる気さえあれば外部からの金銭的なサポートはなくてもやっていけると思います。
驰笔笔を利用しての世界银行入行 博士号を取った后、このまま大学に残るか、农业や环境の研究所に行くか、国际机関を目指すか悩みましたが、特に兴味があった世界银行の驰笔笔に応募し、幸运にも入行することができました。最初は中东?北アフリカ地域総局の农业セクターに配属になったのですが、上司が、私とすれ违いでインドで在宅勤务に入ることが决まっていて、最初からびっくりしましたね。この例からもわかるように、世银は、けして何から何まで面倒をみてくれるというような组织ではないので、その辺は図太くないとやっていけないかもしれません。中东?北アフリカ地域総局では、主に土木エンジニアや灌漑のスペシャリストが活跃していて、世界银行の伝统的なインフラのプロジェクトに携われたので非常に勉强になりました。
当時YPPでは、9ヶ月ずつ2つの部署を経験することになっていたので、次にラテンアメリカ?カリブ海地域総局の農業セクターに異動しました。この異動も、人事部から辞令があるのではなく、自分で探さなければいけないんです。私のYPPの同期の3分の1ぐらいは、既に世銀でコンサルタントとして働いていた人たちだったので世銀の仕組みや風土をよく知っていたり、それなりにコネクションもありました。最初は遅れをとったような気もしたが、同期とのいい意味での競争は大変刺激になります。たとえば、同期の書類を見ると、「使用できる言語」のところに大抵2つ以上の言語が記入されているんです。国連公用語しか記入されないので、日本语はダメ。私は英語しかなかったので、すぐに「世銀では英語以外にもうひとつ語学ができないといけない」と感じました。
当时少しはスペイン语ができたんですが、仕事で使えるレベルには达していませんでした。それもあって、あえてラテンアメリカ?カリブ海地域総局に「スペイン语はすぐに身につけるから、ぜひ雇って欲しい」と言いに行って。そこで仕事を始める前には、6週间ほどグアテマラに语学留学をさせてもらったこともあり、スペイン语を习得することができました。あまり知られていないかもしれませんが、世银は语学を身につけるためのサポートはとても充実していて、本部の中にも语学のトレーニングセンターがあるんですよ。私もスペイン语を习得するために、毎日通っていた时期もありました。
『3?5?7』ルールとは? エンジニアが活跃していた中东?北アフリカ地域総局とは対照的に、ラテンアメリカ?カリブ海地域総局ではよりソフトな分野、例えば环境にやさしい农业の推进、土地行政、农村开発や农家に助成金を出して、新しいテクノロジーを採用してもらう、いわゆるマッチンググラントなどが主な仕事。中东に比べて中南米は狈骋翱が活発で、欧米の思想やメッセージが农村に浸透していることが最初は大きな惊きでした。农家の人と话していて、例えば「道路が欲しい」「所得を上げたい」というようなことを言われると思ったら、実际に彼らが言うのは「川の水が汚れて困る」とか「これ以上木を伐採して欲しくない」とかそういったことなんです。ずっとひっかかっていたんですけど、3词4年目になってやっと、彼らは国际机関の人たちに好まれるような话题をわかっているんだと闻いて纳得しました。
もうひとつ目から鳞だったのは、日本の戦后の成功というのはある程度世界で认められていると思っていたんですが、必ずしもそのやり方が现在主流ではないということ。日本人の感覚でいくと、「贫しければまずは所得を上げないと」と思うのですが、彼らには彼らのやり方がある。例えば日本の农业で、それまでは大地主が持っていた农地を分割して、小农を良しとする戦后の农地改革は评価されていますよね。でも中南米で同じようになされた农地改革は、非常に评判が悪いんです。小农にすることによって竞争力がなくなってしまう。日本はそこを补助金で补ったわけですけれど、途上国に同じ方法がとれるわけではない。このことから、ある国で成功した事例をそのまま他の国に持ち込んでも、必ずしもうまくはいかないんだ、ということを実感しました。
世銀には『3?5?7』のきまりがあります。簡単に言うと、「3 年は同じ部署にいたほうがいい(3年経ったら新しい部署を探すべき)。5年同じ部署にいたら危機感を持って新しい部署を探せ。7年同じ部署にいたら、本人以上にマネージャーの責任」というイメージでしょうか。私はYPPからそのまま6年ほどラテンアメリカ?カリブ海地域総局で仕事をしたので、6年目にはさすがにそろそろ新しい部署にいかなければと思い、部署探しを始めました。その頃には小さな子どもがいたので、出張がだんだん負担になり始めてもいて。出張が少なく、農業というキーワードから離れない部署、ということで応募したのが今いる農業?農村開発局です。ここは地域ではなく、テーマの担当を持っている150名ほどいる局なんですが、農業、漁業、森林などのサブセクターで分かれていて、私は農業政策チームに所属。世銀全体の農業に関するあらゆる対外的な対応や、立場を決定する仕事です。今までのクライアントが途上国の政府だったのに対して、今のクライアントは世銀のシニアマネージメントが半分、ドナーが半分という配分。開発のまた違った側面を見ることができて、とても面白いですね。
开発の仕事を目指している方々へ
国际机関を目指すのであれば、まず语学は絶対ですね。スペイン语で仕事をしてみて、得意ではない语学で仕事をするのがどれだけきついことかを実感したので、これは特に强调しておきたいです。罢翱贰滨颁とかそんなレベルではなく、ある国の大臣と交渉できる高度なレベルが必要と思って勉强してください。
あとは、开発の仕事とひと口に言ってもさまざまな仕事があって、世银の仕事はどちらかというと中央官庁の仕事が近いんじゃないかと个人的には思います。ですから、官僚的なの仕事にはまったく兴味がないという人は、もしかしたら世界银行ではなくほかの组织の方が合っているのかも。常にフィールドでの开発に関わりたいのであれば大きな狈骋翱、プロジェクトがやりたいのであれば例えば国际协力机构(闯滨颁础)のような総合的な组织というように、自分が何をやりたいのかを意识して进路を决めることは非常に重要なんじゃないかと思います。逆に言えば、途上国の役人と政策の协议ができることが世银の醍醐味なので、そういった仕事に兴味がある人にはぜひ志望して顶きたいです。皆さんのご健闘をお祈りしています。