亲の期待に添うつもりでいた高校时代 中学?高校と私立の女子校に行っていて、受験のプレッシャーもなく6年间平和に过ごしました。みんなでお菓子を作ったり、バレーボールを楽しんだり、先生に见つからないようにこっそり游びに行ったりと、青春を謳歌していましたね。本もたくさん読みました。进学の準备を始める高校3年生の顷には心理学や精神医学に兴味があったのですが、教师だった両亲に勧められ、将来の仕事のことも考えて横浜国立大学の教育学部に进学を决めました。亲から自立して1人暮らしをしたい、というのが当时の私の强い希望だったのですが、「教育学部を出れば、一生続けられる教师の仕事に就けるから」「国公立大学なら下宿费をだしてもいい」というのが亲からの希望でした。
教えることに向いていないと悟ったある事件 でも、大学に入ってしばらくして后悔しはじめました。自分の兴味のあることがわかっていたのに违う道を选んでしまったので、讲义やゼミに参加してもあまり热心になれませんでした。「试験に合格すればいい」「就职できればいい」という甘い考えだったけれど、就职につながろうがつながるまいが、自分の兴味のあることや、能力をためせることに向かって进むべきだったんです。
大学では家庭教师のアルバイトをしていました。部活はオーケストラに兴味があったのですが、オーディションがあると闻いて恐れをなして、みんな一からの挑戦だと思われる少林寺拳法部に入ったんです。こういうところは、我ながらチャレンジ精神が足りないですね(笑)。休暇には贮金をはたいて、バックパックを背负ってヨーロッパを1か月间旅したりもしました。
教育学部ですから当然教育実习があるのですが、理科の野外観察の时间に、私よりも大きな声で関係ないことをしゃべり続ける生徒につい必要以上にきつく叱ってしまったことがありました。担当の先生はとても亲切な方で幸い何の问题もない评価をくれたのですが、この経験で自分が思ったよりも教えることに向いていないこと、特に多种多様なこどもたちに教えるというのはとても难しいということを実感しました。
「ジェネラリストにはなりたくない」と留学を决意
大学を卒业后、初めて勤めたのは地元の役所です。新卒には窓口を担当させるという方针があって、病院の窓口でパートタイム勤务の従业员の方たちを管理するという仕事を1年ほどしていました。その后、生涯教育の部署に移り、自治体が主催するイベントを计画したり、ボランティアと一绪に自然観察をするといった仕事を担当しました。仕事の内容はとても楽しかったのですが、何年か勤めているうちに仕事内容がほとんど変わらないことに気付いたんです。おそらくしばらくしたら异动させられて、まったく违う分野の仕事をさせられるだろうという予想もついて、自分がジェネラリストへの道を歩んでいることをひしひしと感じました。その顷プライベートではアムネスティや他の狈骋翱の会员になったりしていたこともあって、自分の兴味が违うところにあることと、このまま一生日本过ごしたいわけではないことに気付いたんです。もっと自分に専门的な知识やスキルが欲しいし、日本の外との係わりのあることをしたいと考えました。
それで、仕事をしながら留学の準备を始めました。大学で学んだのは教育学だったので分野を変える必要があったのですが、卒业后の就职の受け入れ先が広いという意味で経営学修士(惭叠础)がいいだろうと判断しました。新しいことを学ぶのは好きですが性格的に竞争にしのぎを削るというタイプではなかったので、小规模の学校がいいと思ったこと、広い意味でのビジネスを学びたいということで、土地柄公共政策がどのようにビジネスに関わっているかにも强い、ジョージタウン大学の大学院で惭叠础を取得することにしました。
大学院留学、そして监査法人での3年间 ジョージタウン大学では色々な教科を学びましたが、卒业后は不况だった日本での就职に备えて、安全志向に考えて颁笔础(公认会计士)と颁惭础(管理会计士)の资格の準备もしました。しかし、アメリカの会社で働いてみるのも悪くないと思い、シカゴにあったアーサーアンダーセンに就职しました。米国中西部では自动车関係の日系公司が多く、日本人を少数ですが採用していたのです。
主な业务は监査で、色々な业界を学ぶ机会になりました。米国の监査法人は公司の会计の透明性と投资家たちを保护することを目的とした施行后、利害の対立を避けるため、监査以外の业务を厳しく制限されるようになったのですが、この顷は制限もなかったのでいろいろな仕事、コンサルテイング、内部监査、会计経理代行、管理会计业务などをしました。日本から来た自分が、アメリカの公司で英语を使って専门职といわれる仕事をするということは思った以上に大変で、「顾客の期待を超えた成果を出す」ということを常に心がけて仕事をしていました。できない人には仕事が来ない倾向があるのですが、个人个人に15分ごとのタイムシートがあって、仕事の状况が客観的に见えてしまうし、ある程度それで评価されてしまうんです。同僚はほとんどがアメリカ人で、最初の1年は非常に大変でしたけれど、いい経験になりました。
国连での仕事、そして世银へ
大学院在学中に国连本部に履歴书を送っていたのですが、卒业して3年ほど働いた顷、「履歴书を更新しますか?」という连络が国连から来たんです。国际机関に応募したら、返事はまずすぐには来ないと思っていた方がいいですね(笑)。私の场合も忘れた顷に来たその连络で、たまたま履歴书を更新したことが、国连に入る直接のきっかけになりました。国连にも、监査法人で财务関係のレポートを作ったり、証券取引委员会への报告书を作成していた経験が买われたのだと思います。
国连本部事务局では、国际连合人道问题调整事务所と当时まだ新しい国连机関であった旧ユーゴスラビア国际戦犯法廷计画予算を担当していました。それぞれ事务所がヨーロッパにあったので、打ち合わせや视察で现地に出张に行くことがありました。予算関係の仕事だったので、数字がわからないと话にならないのですが、国连本部の予算编成は细かくて、非常に具体的な数字まで委员会や追求されたという印象があります。常に様々な计画书や予算书を作成していましたね。やはり国连事务局内の话题と言えば政治や平和维持活动についてということが多く、会议でも世界の缩図のような场面が目の前で繰り広げられたりして、结果として否応なしに政治に兴味を持つようになりました。
4年目に入った顷、そろそろ他の仕事もしたいと考えていくつかの组织に応募したんです。同僚から応募要项を教えてもらって、たまたま応募したのがその中のひとつ、世银でした。例によって返事はすぐに来ず、半年ほどたった顷に面接に来てくださいという连络が来たんです。面接の结果入行が决まったのですが、その后も内部の手続きのため、実际の入行までにさらに半年ほど时间がかかったのには惊きました。
世银でのキャリアとこれからの展望
世银で最初に担当したのは、组织レベルでの予算计画や四半期ごとの报告书の作成。今までアーサーアンダーセンでも国连でも财务の报告书は作成してきましたが、やはりそれぞれ特徴があって、アーサーアンダーセンでは証券取引所に提出するために细かい规定があって、书き方がきちんと决まっていました。国连では政治的な配虑があり、準备はしておくけれども、报告书のページ数も决まっていてあまり细かいところは最初から书かないという习惯がありました。文章で説明をする割合が多く、数字はあまり多くないんです。そして世银ですが、正直「ここまで必要?」と思ってしまうほど细かいレベルまで数字をきちんと记入する、分厚いものでした。世银では「自分の考えを持っていることが大事」という文化があることも影响しているのでしょうが、株主、経営阵や上司が変わるたびに报告书も変化するということも特徴ですね。
2006年から现在までは南アジアを担当しています。南アジアがどれだけの开発结果を残しているか、どれだけの融资や业务をしたかなどをアピールして、できるだけの予算を确保することと、四半期ごとの组织内での报告というのが私の仕事になります。
今後の長期的なキャリアを考えたとき、自分は10 ~ 15年という長期的な時間をかけてひとつのことをコツコツと追求するタイプではなくて、3 ~ 5年くらいの中期的な問題を、自分のスキルや経験を生かしながら解決するのが性に合っていると思うんですよね。今後は、世銀内でも外でもいいので、私のスキルを生かせ、今している仕事の延長線上で何かさらに新しい能力を付け加えられるような仕事をしていきたいですね。実は、子どもがひとり障害を持っていることもあって、退職したら障害者のための機関で働くのも悪くはないなぁと思っています。
开発の仕事をしたいと思っている方々へのメッセージ
今振り返ってみると、人生とは自分を発见していく过程だと思うんです。兴味を持ったことを追求して、时间や努力をその分野に投资すれば、それができるはず。个人的には、世银や他の机関、会社に入りたいというのが人生の目的になってしまうのではなく、もっと広い意味で自分の価値観や兴味、得意なことを理解して欲しいと思いますね。例えば、世银に入りたいのならなぜ自分が开発に関係した仕事をしたいのかを考え、自分に投资すれば、将来をより広い范囲で考えることができると思います。
学生时代にきちんと身につけておくべきスキルは、考えて、自分の意见を持つこと。私は残念ながら、学生时代に政治や経済にあまり兴味がなかったけれど 日本の状况を考えると、今特に必要なのは、日本の财政政策に正当な意见を积极的に言えるような人だと思うんです。そのためにも、若いうちから経済学をきちんと勉强して、きちんとした知识を身に付けた上で自分の意见を言えるような日本の若者が、これからたくさん出てくることを心から望んでいます。