开発への扉を开いた両亲の言叶 高校生のときに、1年半ほど親の転勤でノルウェーのベルゲンで生活したんです。当時は英語もわからなかったんですが、インターナショナルスクールは首都のオスロにしかなかったので、現地の高校に入りました。いきなり全ての授業がノルウェー語だったんです。当時はノルウェー語と日本语の辞書がなかったので、常にノルウェー語と英語、英語と日本语の2冊の辞書を持ち歩いていた高校生活でした。ノルウェーは政府?地域をあげて人道支援に力を入れていて、現地高校のプログラムで週末に難民支援キャンプでノルウェー語や英語を教えるお手伝いをしたことが、開発への興味を持つきっかけになりました。
今思えば、小さな顷から両亲にいつも「人の役に立つことをしなさい。限られた命をどう使っていくかを常に考えて生きていきなさい」と言われていた影响も大きかったと思います。「どういう意味なんだろう。じゃあどうしたらいいんだろう?」と考えながら思春期を过ごしていました。ノルウェーでの経験も踏まえて、「世界平和に贡献できる人になりたい」という思いがいつからか自分の中に芽生えていたんです。
その目标をどうしたら具体的に実现できるかを考えていたときに、ノルウェー出身のヨハン?ガルトゥング博士の本に出会ったんです。彼は平和学の博士で、「消极的平和=戦争がない状态」を平和とするのではなく、「积极的平和=贫困、抑圧、差别、构造的暴力がない世界」を构筑することを提唱しています。世界平和の定义にはいろいろあることに気づきましたし、人は生まれる场所を选べないのに、生まれた场所によって运命が决まってしまうのは不平等だと强く思いました。でも人间には生きていこうという力がある。そういう人たちに、どうやって力を贷したら助けることができるか、希望に溢れる人生を构筑できるかを考えて、平和学を勉强したいと思ったんです。でも日本に帰って高校を卒业して、平和学を勉强できるところを探したら、日本にはなく、ハワイ大学と、ニューヨークにあるシラキュース大学が学问として平和を扱っているとわかりました。父亲に相谈したら、ニューヨークは危ないから駄目、ハワイならいいよと言われてハワイに行くことを决めたんです。
「平和学」を学び「教育」の大切さを知る ハワイでは修士まで平和学を学びました。その間に、日本の運輸省(当時)のプロジェクトで、太平洋諸島での災害リスク管理に関わらせていただいて、小さな島国を訪れる機会があったんです。そのときに基礎教育がいかに大切かということを実感しました。今後どういう方向性で平和を進めていけばいいかと思ったときに、人にいちばんインパクトを与えるのが教育だと思ったので、コロンビア大学のティーチャーズカレッジに進みました。博士号取得のために入ったのですが、担当の教授がルワンダに行ってしまって、やることがなくなってしまったんです。担当教授が戻ってくるまでの3年間、学生の身としてどうしよう?と悩んだのですが、「nothing to lose」の心構えで何もしないで帰国するよりは色々と挑戦してみようと思いました。それで、国連開発計画(UNDP)の空席ポジションを公募で見つけて応募してみたんです。
鲍狈顿笔での仕事 鲍狈顿笔に応募后、幸いなことにトントン拍子で採用が决まり、2007年から2012年まで、人材开発の部门で本当にさまざまな経験をさせていただきました。最初は国连闯笔翱の採用活动などに関わり、経験を积んだ后にアジア地域を任されるようになり、パキスタンとアフガニスタンを担当しました。远隔で仕事をするのではなくて、现地に赴いて人事局のメンバーとして现地の事务所と直接仕事をしたので、现地への出张が多かったのですが、それがとてもよかったですね。现地に合った人材育成の方法をカントリーダイレクターと话し合い実行するというように、直接関わる机会がとても多かったので勉强になりました。 平和学、教育を学んできた中で、国连で働き始めてからは学问を追求するのではなく、実际に人と関わり、人に贡献するのが自分に合っているなと感じました。
滨贵颁に入社し、世界银行グループへ 鲍狈顿笔に入って6?7年がたった顷、そろそろキャリア的に违うことを経験したいなと思うようになりました。上司からは「とにかくいろんな机関を経験しなさい。その上でまた戻って来ればいい」と言われましたが、だからといって就职先を探してくれるわけではありません。自分でいろいろと探しているうちに、国连国际民间航空机関(滨颁础翱)が採用してくれることになりました。ただ、ちょうど结婚し、主人がハワイからニューヨークに移ってきたタイミングだったので、その机関があるモントリオールに行くことについて迷いがありました。
そんなときに、IFCのリクルーターから「あなたのCVを見つけたのですが、あなたはこのポジションにぴったりだと思ったのでご連絡しました」というメールが来たんです。昔CVを送ったことはありましたが、特定のポジションに応募したことはなかったので、絶対に間違いだ!と思いました(笑)。でも「Nothing to lose」なので、IFCの友人に電話して本当にこの人はいるの?と確認したんです。そしたらちゃんといる、ということで安心して連絡を取り、採用過程を経て2012年に世銀グループであるIFCに入行したんです。
现在担当している仕事ですが、世银の中でも1、2位を争うぐらいのベストな仕事だと思っているんです。というのも、干部マネージャーや局长、副総裁など、世银の中で干部となる人材を育成する仕事なので、人と関わり、人がより成长していく姿を见ることができますし、「ここをこうしたらもっといいチームが作れる」と腹を割って话すことができます。 リーダーシップ开発プログラムは、プロフェッショナルな公司と协力しており、その人たちとも信頼関係を筑くために话し合いながら仕事をしていますので、人との関わりが好きな人には特に向いている仕事だと思います。
国际机関で求められる人材像とは?
この仕事をしていて、最近は人间味のあるリーダーが求められる倾向があるなと感じます。やはり国际机関というのは多様性のある组织なので、日本人が得意な「言わなくてもわかる」「暗黙の了解」とは対极で、マネージャーとして、どのように话せば伝わるのかわかる、コミュニケーションの取り方に长けている、人の痛みを理解できるなど、エモーショナルインテリジェンスを开花させて、いろんな人を引っ张っていくことが求められますね。
国连と世银では、やっていることは大きく変わらないんですが、やり方が违います。国连は雇用体系が违うので人の入れ替わりが激しく、个人対个人のネットワークを作り上げる时间があまりないと感じました。実感としては「自分対现地事务所」で仕事をしているという印象ですね。それに比べ、世银ではリレーションシップベース、ネットワークベースで「自分対个人」で仕事をしているという実感があります。国际机関で求められる人材像は、大きく言えば组织のミッションとビジョンに个人的価値を重ねられる人だと思うんですが、世银ではそれに加えて高い専门性、国连では即戦力やフットワークの軽さが求められる倾向があると思います。
実は、世银での日本人の雇用を増やすことを目的として、外部の候补者向けに初めてオフィシャルな『』というものを作りました。今まで面接でどういったことを质问されるかが、なかなかクリアにされてこなかったので、国际机関で求めている人材像や、どんな準备や练习をしていけばいいのかを明らかにするガイド本になっています。
日本人の特徴として、自分をどういう风にパッケージ化?ブランド化して话せばいいかを理解していない倾向があります。実际わたしが见てきた中でも、もう少し练习すれば…という人がたくさんいました。一例として、「奥贰」と「滨」の使い方を意识したことがありますか? 面接官侧としては、问题にぶつかったときに今までどのように乗り越えてきたか、その人がそれにどのように贡献してきたかということを知りたいんですが、「こういう问题があってこう解决しました」という话の中に「奥贰」ばかりがあって「滨」がないと、主体性が感じられないと思われがちです。日本人は谦虚なので、自分をアピールしすぎじゃないかと心配する人が多いんですが、心配は要りません。ちょっとアピールしすぎたかな、と思うぐらいでちょうどいいんです。ちゃんと「滨」を使って话すことを练习してみてください。
现在の业务と趣味 现在、世银総裁がスポンサーをしている「世银総裁人材育成プログラム」に関わっています。「人材こそが世银の宝だ」ということで、11人のフェローのリーダーシップ开発をしていくという仕事なんですが、これを成功させることが当面の目标です。今后、世银の未来を背负っていける人材を育成するというのが长期的な目标ですね。世银に限定することなく、将来的に人材育成に関わる仕事にはずっと関わっていきたいなと思っています。
2?3か月に一度出张で、20?25人ほどのマネージャーを连れてフィールドを访れます。先日はコロンビアに行き、元ゲリラだったという现地のリーダーに会って话を闻きました。このように、普段なら絶対に会えないような人に会って话を闻き、各々に潜在するリーダーシップ能力をいかに有効に発挥し、优秀なリーダーとして様々な経験値を高め成长していくことの大切さを促すプログラムなんですが、普段オフィスにいると忙しい毎日なので、いいバランスだなと楽しんで仕事しています。マネージャーたちを「この人の元で働きたい」と思わせる人に育てるというのが、自分にとっての挑戦ですね。
仕事以外では、主人がハワイ出身で、主人の母亲も住んでいるので3?4カ月に一度ハワイに帰るようにしているんですが、それがいい息抜きになっています。
世界银行で働くことに兴味がある若い人たちへのメッセージ 日本人はとても勤勉で责任感も强く、言われたこと以上のことをこなそうとする优秀な人が多いんですが、それがときには悪く出てしまうこともあります。责任感が强いから他の人の仕事を引き受けてしまったり、自分を出さずに我慢してしまったり。国民性として、日本人は柔软性を身に着けたらもっと强いと感じるので、よりフレキシブルに経験を积んで、自分をしっかりアピールしていくことを意识して欲しいですね。ずっと先まで将来设计をして、少しでも计画通りに行かなかったらもうダメだ、と諦めてしまうのではなく、2?3年ごとにキャリアステップを考えるべきだと思います。
今求められている人材像は、フューチャリスティックビジョンがある人材。将来どんな风に自分の仕事を通して开発分野を切り开いて行こうか、という热い情热を持った人にぜひ来ていただきたいですね。若い顷だからできる挑戦があると思うので、臆せず新しいものにどんどん挑戦して、年齢を重ねてからでは积めない経験を积んで欲しいです。