ボランティア経験を仕事に もともと开発の道に兴味を持ったきっかけは、大学时代に、1970年代に起こっていた飢饿や难民问题を分析した、犬养道子さんの『人间の大地』という本に非常に感铭を受けたことです。この本は、当时开発に携わる人はみんな読んでいるような、インパクトのある本でした。そこで民间の日本ユネスコ协会连盟で、募金活动のボランティアに参加しました。大学生?社会人の期间を通じて8年近くやったこのボランティア活动が、今のキャリアの土台になっています。そのうち、ボランティアではなく仕事で何か贡献できないかと考え、勤めていた颁狈狈の东京支局をやめて、旧アジア経済研究所开発スクールに入学しました。
スクールの2年目には奨学金を顶いて留学させてもらうことができ、兴味のあった开発とコミュニケーションの分野のあるアメリカのコーネル大学に入学。そこで开発の勉强と、家族计画教育、栄养教育などを勉强したのち、外务省の闯笔翱试験に合格し、国连人口基金(鲍狈贵笔础)の仕事でパキスタンに赴任しました。
保健分野に兴味を持ち、再び大学院へ ヘルスセンター视察(タンザニア本土、プワニ州バガモヨ) パキスタンには合计3年いましたが、当时のパキスタンの保健所や病院での光景は今でも焼きついています。女性によっては14人も子供を产んでおり、不妊?避妊手术をするのは女性なのですが、手术をした后、场所がないので廊下に回復するまで横たわっていたのです。南アジアでは一般的に家庭内も含めて女性の地位が低く、子沢山が女性の価値と考えられている一方で、女性には意思决定の力がありませんでした。さらに女性の识字率も低く、学校にも行けていいませんでした。しかも夫が好まないということで、女医を探さなければならず、様々な意味で、女性が产前検诊からお产までのサービスにアクセスするために、ものすごいハードルがあったのです。それを见るうちに、女性の保健や女性の社会的地位といった分野に特化したいと思うようになりました。
3年目には、首都以外で何が起きているのか见たくて、もう少し开発の现场に関わりたいと思っていた时に、日本大使馆がちょうど人を探しており、亲切にも声をかけていただけて、草の根无偿资金协力事业のお手伝いをしました。1年间でしたが、保健以外の分野も见ることができ、灼热の砂漠を歩いてたどり着いた村で、「旅人に一杯の水を」ともてなされて、いただいた水が浊っていたりと、厳しい环境を见る一方で、希望を持てる光景も见ることができ、人生の中で最も印象に残っています。
最初の修士号は公众卫生ではなかったのですが、当时お世话になったパキスタン人の职员に背中を押され、もう一度大学院に戻りました。今度はチューレーン大学で公众卫生を学び、教授やリサーチの机会に恵まれ、博士课程では奨学金の支援も得ることができ、修士と博士で6年くらいお世话になりました。
データ分析から、プログラムでのデータ运用へ
乳幼児栄養プロジェクト策案に伴うフィールド視察、コミュニティヘルスワーカーの方々と(タンザニア本土、モロゴロ州 ウルガンダ) 大学院卒业后は、ワシントン顿颁の援助関连の调査会社でナミビアを担当し、米国国际开発庁(鲍厂础滨顿)のミッションが使うための解析や指标作りを担当しました。2000年代から2010年代にかけては、世界规模で贬滨痴/エイズの资金がたくさん投入された时期でした。すると今度はこうした分析がプログラムにどう生かされているのか、実态がどうなっているのかに兴味が涌き、约1年后に国际狈骋翱である旧贵贬滨(现?贵贬滨360)に転职しました。アフリカ数カ国の贵贬滨360のプログラムのモニタリング评価を担当し、出张しては现地事务所の同僚たちと一绪にプログラムで支援していた医疗施设のデータの収集、、またドナーである米国政府や财団などに提出する报告书の作成に関わりました。米国では议会が非常に强く、「この1ドルで何人の子供に何ができたか」というような议论がされるため、米国政府支援のプログラムはモニタリングの指标やデータに非常に力を入れていました。2年后にはナイジェリア事务所に移动し、さらに1年半ほど勤务しました。
その后、ユニセフのニューヨーク事务所のデータ分析の部署に転职し、约6年ほど勤务しました。ユニセフの贬滨痴/エイズの部署と母子および青少年の保健を中心に、主にデータの収集と分析に関わる支援を担当しました。例えば、ジンバブエ政府がグローバルファンドに企画书を出す际にデータが必要なので、世界国际保健机関(奥贬翱)とユニセフが协力してチームを组んで1週间ほど现场に行き、保健施设からデータを収集?分析して、ジンバブエ政府が使えるようにする、といったことです。でも仕事をしていく中で、开発はやはり対象国に身を置いて関わりたい、と考えていたところ、世界银行が募集する日本政府の支援による职员採用プログラム(顿贵厂笔) のミッドキャリアで、ポジションの1つにタンザニア事务所の保健分野のポジションの募集がありました。このポジションに合格し、2017年に世界银行に入行しました。全てはご縁と运とタイミングでやってきたように思えます。
上级保健専门官の仕事とは
乳幼児栄养プロジェクト策案に伴うフィールド视察、コミュニティヘルスボランティアの活动について话を闻く(タンザニア、ザンジバル) 世界銀行のタンザニア政府の保健セクターへの支援は、母子保健および栄養の改善をその主な目的としています。タンザニアのメインランド で全国展開する母子保健のプログラムに世界銀行が融資し、タンザニア政府が合意した成果に向けてプログラムを実施するもので、年に2回ほど組まれるミッションにチームメンバーとして参加し、その進捗状況を議論し、ドナーとの協調会議にも参加し、関連するデータを使った調査解析をしています。また、政府が保健分野における向こう5年間の戦略計画を策定する際にもその方向性を検討したり、テクニカルインプットを提供したりします。それから、近年世界的に乳幼児期の子供の発達に対して支援を拡大する動きがあり、タンザニア政府でもそうしたプログラムを作ろうとしていたため、その案件のプログラム作りにも参加しました。
従来の母子保健分野では、家族計画や出産の環境整備、予防接種などが中心でしたが、最近では経済成長の過程で、健康で教育を受けた経済の牽引力となる人材が必要であるという観点から、多角的な視野に立った保健プログラムが展開されています。受胎から約2歳までの期間が、子供の栄養だけでなく脳の発達において重要な時期とされていますが、慢性的な栄養失調などがあると、学校での認知力や学習能力に影響し、進学や就職にまで影響してしまいます。 長期的に見ると、保健が国の発展を支える人材にまで影響していると考えられるわけですね。
これまでの延长线上に今の仕事がある
乳幼児栄养プロジェクト策案に伴うフィールド视察、コミュニティヘルスボランティアの方々と(タンザニア、ザンジバル) 世界银行は特にエビデンス重视で、プロジェクトがどのような结果をもたらしたのかを何らかの形で评価しようとします。情报を収集し、それを途上国のカウンターパートが分析してモニタリングにつながり、政策のコンサルテーションにつながっていきます。振り返ってみると、データや情报に触れるこれまでの仕事の延长线上に今の仕事があり、経験が活かせていると思います。また、パキスタンで抱いた女性の保健や社会的な地位に対する思いは、世界银行でのリプロダクティブ?ヘルスの仕事につながっています。知识とデータを使う技能が土台となり、うまく繋がって今の仕事に役立っています。
世銀の融資の配分を見ると、インフラが占める比率が高く、保健や教育分野は相対的に多くありません。それでも、少なくともタンザニアでは、直接政府に資金が提供されるという意味でも、 他のドナーに比べると協力の規模は最大です。資金力の大きい世界銀行では、例えば相対的に小規模である程度成果を上げた?成功させたプロジェクトから学び、それをどうやって国レベルで展開していくかといったスケールアップができますが、そのようなスケールの支援ができるのは世界銀行ならではの重要な役割ではないでしょうか。世界銀行の資金力がもたらす可能性は大きいと言えます。
アフリカには変化の可能性がたくさんある アフリカの强みは、人口が若く、それゆえにエネルギーがあり、「変化の可能性がある」ことです。また、アフリカでは色々と制约があるために、工夫をします。そういう意味で、私たちの尺度では考えられないようなスピードで、形で、社会が変わっていく可能性を多く秘めています。それがチャレンジでもあり、面白さ、醍醐味でもあります。
ただし、教育が课题です。初等教育はかなり普及してきましたが、中等教育に进んで、その后高校を卒业させるというステップが课题で、特に女の子は厳しいです。子供の数が多く、先生の数が足りていません。経済を牵引する人材を育てる部分でまだやれることが残っており、そうした人材が成长するための环境や雇用の场が追いついていません。
また、グローバル化とデジタル化の时代は、人を使わなくても色々できてしまう时代です。アフリカは、大量に工场で働く人材を送り込んで成长した东南アジアとは全く违う时代の流れの中にいるため、アジアとは异なる経済成长を辿らなければならないと思います。
私たちが蒔く种が、将来の変化の可能性を秘めている
リプロダクティブヘルス?バウチャー制度プロジェクトの裨益者のお宅を访问(ウガンダ、ムバララ) でも悲観的ではありません。入り口はいくつもあると思っています。
例えば、1999年、パキスタン时代の案件で、标高8,000メートル级の地域にある北方の村から日本大使馆に支援要请がありました。谷间にある水を村の女性が汲みに行かなければならないため、その水をパイプで村まで汲み上げる装置を作り、さらに各家庭に水が届くようにして欲しい、というものでした。私の任务は、その过程でため池ができたことを确认するところまでで、帰任となりました。ところが十数年后、ニューヨークのチェルシーを访れた际にこの村と縁があったのです。ある募金活动の支援イベントに行ってみると、まさにそのパキスタンのスルタナバードのギルギットの村の写真があり、女の子が小学校だけでなく中学校を卒业するための寄付を募っているということでした。その寄付を受け取ることになる、パネル写真に写っている子供のお母さんたちは、水を汲み上げる案件の时には10歳程度だった子供达だったのです。そしてこの村が必要としているのは、水を汲み上げることから女子教育へと移っており、様々なことがつながっていることを改めて感じました。私は保健セクターが専门ですが、保健だけが変われば生活が変わるのではなく、入り口はたくさんあり、どこから入っていっても、社会を少しずつ揺り动かしているんですね。
今のアフリカでも、様々な课题がありますが、同时にいろんなところに入り口があります。アフリカにはアフリカのペースと変化の仕方があります。アフリカも、私たちを含め、多くの入口から各セクターが蒔く种が、変わっていく可能性を秘めているように私は感じます。15年経つとスルタナバードが女子教育をするようになっていたように。
新型コロナウイルス感染症に対する支援 世界中で新型コロナウイルス感染症が流行する中、世界銀行でも、途上国による国際的な感染対策強化、疾病監視の拡充、公衆衛生の改善に向けて、現在100カ国以上に支援を展開しています。タンザニア政府は、新型コロナウイルス感染症に対する勝利宣言をしていますが、世界銀行から短期?少額のグラントを受け、主に公衆衛生研究所や検査体制強化 、戦略的に選ばれた病院7カ所における酸素供給施設の支援とその訓練などに充てられています。また、現在ワクチン供給に向けて、WHOやユニセフと連携し、タンザニア政府との話し合いが始まっており、私もメンバーとして参加しています。たとえタンザニアで新型コロナウイルスの感染者がいなくなったとしても、外国との往来はありますし、観光業を維持するためにも、ワクチンは必要です。ぜひタンザニア政府には活用していただきたいと思います。
どの组织に入りたいかより、何をしたいか 国际协力の分野は、私が开発を目指した1997年顷とはだいぶ様変わりしました。当时、开発の主役は国连、国际机関と大使馆や付随する机関が主役でした。ところが、2000年代中顷には财団が多额の寄付をするようになり、さらに2010年代には公司の社会的责任(颁厂搁)の観点から、民间公司が国际开発に加わってきました。これから国际协力を目指す方には选択肢が多いと言えますが、プレイヤーは时とともに変わっていくので、「どこの机関に入りたいか」ではなく、「何をしたいか、どんな业务をやっていきたいのか」をまず考え、「それができる组织はどこなのか」と考えることが大事です。すぐにはわからないかもしれませんが、やりたいことが必要とされる场所?组织は必ずあります。
一方で世界银行には、ヤング?プロフェッショナル?プログラム(世界银行グループ驰笔笔) やミッドキャリア 、インターン &苍产蝉辫;、コンサルタントなど、働く机会はたくさんあります。ただ、世界银行は高度な専门性を问われる组织であり、开発のジェネラリストではなく、特定分野の専门家になっていく人が採用されやすい倾向が强く、世界银行に入ってからもそれが问われます。世界银行は専门家の集団であるため、特定セクターの専门性を磨くことが大事になってきます。