1961年3月16日、世界银行は九州电力に対して、1953年の苅田火力発电(1120万ドル)に次いで2回目の贷出に调印しました。新小仓発电所は、九州の玄関口として古くから海陆交通の要所となっていた北九州市の中心地にあります。新小仓火力発电所は、経済成长期の北九州工业地帯の电力供给を支えました。
新小仓火力発电所は、従来は使用されなかった3,000碍肠补濒程度の筑豊炭田の低品位炭を使用し、国内未利用エネルギー资源の活用、石炭鉱业の合理化、电力需给の缓和、発电コスト低减をねらいとして建设されました。运転开始は1961年10月で、老朽化が进み廃止される2004年10月まで、主要発电所として电力を供给しました。
また、この九州电力に対する贷出が、日本开発银行経由での対日本贷出22件の最后の案件となりました。日本开発银行史には、この九州电力贷出が成立までに曲折があったことが触れられています。それによると、九州电力は1958年当初、一ツ瀬水力発电所を対象に世银贷出を申请しました。世银侧は、审査の结果この地点が経済的にみて高コストであること、かつ技术的にもやや难点があるという理由を挙げ、最终的に新小仓火力への计画の変更が行われました。しかし変更理由には、财务体质の脆弱な电力会社が借入金に依存しながら大规模水力电源开発を急ぐことに悬念を示したという背景もあったようです。その后、新料金制度による电力料金の改订がなされ、九州电力により、2年越しの贷出案件が成立しました。&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;
プロジェクトデータ |
调印日:1961年3月16日 受益公司:九州电力(2次) 対象事业:新小仓火力(156,000办奥) 贷出额:1200万米ドル |