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特集2011年6月28日

榎村庸子 世界銀行 ヨーロッパ?中央アジア地域総局 貧困削減?経済管理局 ジュニア?プロフェッショナル?オフィサー~第35回 世银スタッフの横颜インタビュー

ゴールドのボタン使いが素敌なシャツでインタビューに现れた榎村さん。くりっとした黒目がちな瞳に、持ち前の好奇心の强さが现れているかのよう。客観的には大変だっただろうと思われることも、さらっと语ってしまう彼女のポジティブな姿势に、若い世代ならではの逞しさが感じられます。世界银行と日本政府の连携で2009年に始まったジュニア?プロフェッショナル?オフィサー(闯笔翱)プログラムの第一期生として2010年6月に入行したばかりという彼女の、今までの歩みとは?

Yoko Enomura

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东京都出身。早稲田大学社会科学部卒业。在学中にロンドン大学东洋アフリカ学院(厂翱础厂)交换留学。ロンドン?スクール?オブ?エコノミクス(尝厂贰)修士课程卒业后、滨罢コンサルティングファームで数年官公庁のプロジェクトに従事。2010年にジュニア?プロフェッショナル?オフィサー(闯笔翱)プログラムで世界银行に入行。ヨーロッパ?中央アジア地域総局にて司法改革関连を担当。好きなことは、红茶を饮むこと。世界をハッピーにするために、红茶を饮みながら仕事にいそしむ日々。

日本が恋しかったタイ时代

小学生のとき、父亲の転勤でタイに行ったんです。2年ほどだったんですが、最初はとにかく日本が恋しくて。毎日日本の方を向いて泣いていた、と今でも亲に言われます(笑)。私自身の记忆は全然ないんですが???。学校も、亲はインターナショナルスクールへの入学手続きを既に済ませていたらしいんですが、私がどうしても日本人学校がいいと駄々をこねて、结局日本人学校に入学しました。

今思うと、やはりそれが开発や海外に兴味を持った最初のきっかけだったように思いますね。学校へはバスで通学していたんですが、ある时期に火事のせいで家を失って、何週间も桥の下で暮らしていた人たちを毎日见かけて???。世界には色々な国があって、色々な人たちが生きているんだ、ということを痛感しましたね。日本に帰ってきて「世界に出たら1人でも日本人として见られるのだから、それを意识して行动しなければいけない」という作文を书いたのを今でも覚えているんですが、そういう文章を书くぐらいのカルチャーショックは幼いなりに受けて来た、ということでしょう。

将来に悩んでいた「原石」の顷

中学?高校は、ある中高一贯教育の女子校に入ったんですが、何に打ち込むということもなく、ごく普通の生活を送っていました。とはいえ、中高一贯教育だったので中3から高1ぐらいにかけては、何というか中だるみの时期。小さい顷からの梦だった宇宙飞行士は、视力が悪くなってしまったことと、自分が文系だということに気付いて却下。「将来何になろうか」とよく思いを巡らせていましたね。悩んでいたと言ってもいいかもしれません。

そんなある日に観た映画がジブリ作品の『耳をすませば』。自分と同じ15歳ぐらいで、作家を目指している女の子が主人公なんですが、「今は原石だけど磨けば光るんだから、これから时间をかけて磨きなさい」というようなことを言われるシーンがあるんです。それを闻いて初めて、「今の自分は取り柄が何かもわからないけど、今のまま进んでいけば、将来何かにはなれるかも」と思えました。ちょうど同じ顷だと思うんですが、教室の片隅に置いてあった『职业一覧』のような本をパラパラとめくっていたときに国际公务员と国际弁护士のページを见つけて、「面白そうだな?」と思ったことを覚えています。

大学から交换留学でイギリスへ

大学に进むとき、アメリカに留学したいとも思ったんですが、学费の面を考虑して、交换留学を狙うことに。交换留学の制度が充実している早稲田大学の社会科学部に进みました。入学してすぐ、外务省の国际机関人事センターに电话して「国际公务员になりたいんですが、何をすればいいでしょう?」と闻いたんですよ。返事は「まずは勉强してください」というもので、そ???そうですよね!という感じでしたが。

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社会科学系の科目を中心に好きな科目を勉强していくうちに环境法などにも兴味が出てきて、法律も学べる留学先を探したらイギリスにしかないことがわかりました。それで、交换留学先はイギリスに。ロンドン大学东洋アフリカ学院(厂翱础厂)に行ったんですが、结局环境法のクラスはなくて、イギリスの学部生たちと一绪に一般的な法律について学びました。その后ロンドン大学のひとつで、社会科学系で一番有名でもあるロンドン?スクール?オブ?エコノミクス(尝厂贰)へ。ここは留学生も多くて、结果として国际机関に进む人も多いみたいですね。今になって、この顷一绪に勉强していた友人と再会したり、谁それが国连にいるらしいという噂を闻いたり。そういったネットワークができたという点でも、得るものが多かった学校です。

院を卒业したあとは、ロンドンで主に韩国人や日本人相手の留学カウンセラーのアルバイトを半年ほどやったり、ひょんなことからカメラマンのアシスタントを始めて、最终的には自分にも取材の仕事が来たり。就职活动もしたんですが、ビザの関係で色々と难しかったこともあって、一度日本に帰ることを决めました。

就职した公司での充実の4年间

国际机関や官公庁に兴味があったので、パブリックセクターのコンサルタントができるところを探して就职活动をした结果、ある滨罢コンサルティングファームから内定をもらいました。4年间官公庁のプロジェクトを中心に担当していたんですが、とにかく激务でしたね。朝まで仕事をして、皆で朝食を食べて帰るなんていうこともよくありました。でも上司や同期、后辈まで、いい人たちに囲まれて楽しかったですし、本业以外の活动も心の支えになっていました。

本業以外というのは、ひとつはいわゆるCSR(Corporate Social Responsibility/企業の社会的責任)の一貫として会社の中にあるコミュニティに参加していたこと。ボランティアベースで、自分たちの持っているコンサルティング能力を企業以外のNGOなどに対して提供するといったことをやっていました。具体的には経営戦略のアドバイスなどですね。もうひとつはクラブ活動で、探検部に所属していて洞窟を探検したり、崖からウォータースライディングをしたり、無人島に行ったり。会社の卒業生としても参加している人がたくさんいるので、今でもメーリングリストに入っているんです。

このように、仕事は忙しかったけれど様々なことにチャレンジできていたので、いずれは国际机関に行きたいという気持ちはあったけれど、あまり転职については本気で考えていなかったというのが正直なところです。母亲が新闻の切り抜きを私に渡してくれたのは、そんなある日のことでした。

运命を変えた「新闻の切り抜き」

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その新闻の切り抜きは、世界银行のジュニア?プロフェッショナル?オフィサー(闯笔翱)派遣制度についてのものでした。母亲の「受けてみれば?」という言叶と、法律を勉强していたことや、パブリックセクターに関わる仕事をしていたことが役立つかもしれないという思いで、応募を决意。実际の选考プロセスとしては、ウェブで応募して返信が来て、英语の论文を送り、日本で面接を受け、その次にワシントン顿颁にいる今の上司とのビデオでの面接、という流れでした。年によっても违うと思いますが、确か选考プロセスに1年ほどかかったんじゃないでしょうか。进行がかなりゆったりしているので、「返事が来ない!」と焦るかもしれませんが、気长に待ちましょう。

结果、无事に合格することができ、2010年の6月末から贰颁础(ヨーロッパ?中央アジア地域総局)の司法改革関连プロジェクトで働いています。特にロシアとクロアチア、そして上司が関わりのあるフィリピンのプロジェクトが中心ですね。例えば、ロシアでは日本社会開発基金(Japan Social Development Fund: JSDF)を使って法律相谈所を作り、现地に住んでいる人々に法律的なアドバイスをしています。それとは别に今立ち上げに関わっているのが、贰颁础内で法に従事している専门家がお互いに知识を共有し合えるような场を作るため、年に一度の会议を开こうというプロジェクト。これは2011年の4月にギリシャでスタートしました。

世银での醍醐味は、やはりクライアントが日本国内から全世界に広がったということでしょうか。逆に、プロジェクトで通るべき过程がたくさんあったり、多くのプロジェクトが同时进行しているので优先顺位をつけるのが难しいということもあります。长期的キャリアとしては、司法関连だけではなく、色々なパブリックセクターの仕事をしてみたいですね。また、现地に行ってみて思ったのですが、少しでも现地の言叶を话せると理解度も违う。独学でもいいので、ロシア语などを勉强しはじめようかと思っています。例えば「ありがとう」「元気ですか」だけでも色々な国の言叶を话せたら役立つかもしれませんね。

开発の仕事をしたいと思っている方々へのメッセージ

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若い人たちには、いろんな本や映画を観たり、いろんな国に行ったり、いろんな人と话したりして自分が何に兴味があるのかを见极めて欲しいですね。そして兴味を持ったものは突き詰めてみる。结局私も闯笔翱の面接でつっこんで闻かれたのは、前职の仕事内容はもちろんですが兴味を持って取り组んでいた颁厂搁の活动や趣味に関してでした。私自身、过去を振り返ってみると何となく不安だった时期もありましたが、勉强であれ仕事であれ精一杯打ち込んでいれば、直接は関係なく思える事柄でも将来につながっていると思います。现状に不満を持って、停滞しているのが一番よくない。

一般公司に勤めている人の中で、今は开発に直接関わっていなくて歯がゆいと思っている人がもしいたら、自分の会社に颁厂搁的なものが何かないか调べて、参加するのもいいと思います。少なくとも、自分は社会贡献できているという実感を持つことができるかも。または、これを読んでいる人の中で、闯笔翱に応募しようかどうしようか悩んでいる人がいたら、まずは受けてみてください!私もそうだったわけですし。今后、国际机関にもっと日本人が増えて欲しいなぁと素直に思うので、皆さんの顽张りに期待しています。

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